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家と庭の親和性を回復するために、木製大開口やデッキを新設。作庭家の栗田信三氏が既存の泰山木、梅、柚、山茶花、ツツジ、モクセイ等を残しつつ、新たに植樹し、デッキから続く緑に囲まれた居場所兼小道を三和土で形成した。 -
敷地に対して集合住宅とこの家が傾いて建っているために存在する斜めの隙間。その途中にガラス張りの玄関を張り出し、手前をアプローチに、奥を坪庭にすることで、玄関と敷地隙間の豊かな関係を築いている。
住まいを編み直す
約70年前、著名な日本史学者が本駒込の地に建てた母屋と書斎。夏目漱石研究等で知られる比較文学者である息子の代に、建築家の故黒沢隆氏の手によって、2回リノベーションされた。さらにその住宅が3代目に渡る段階で、私が3回目のリノベーションをすることになった。
元々母屋と書斎は、庭に対して出来るだけ南面させるためか、それぞれ敷地に対して傾いて建っていた。黒沢隆氏が1972年に増築により書斎を2世帯住宅に、さらに同氏が1989年に母屋を撤去した。その跡地に集合住宅を建設した時点で、残されたこの住宅は敷地に対する傾きの根拠を完全に失った。施主の要望は、つぎはぎの結果出来てしまった家の周りに複数あるこの僅かな隙間を活かすこと、家と庭の親和性を回復することの2点であった。学者の家系である故か、不合理なことが気になるらしい。そこで、北西の隙間は、玄関を敷地境界まで突き出すことで、アプローチから玄関のガラスを通して見える坪庭に、LDKとセットで回遊できる廊下の位置は、巡る過程において坪庭化した隙間をガラス越しに必ず捉えるように計画し、奥様の書斎や浴室は隙間とセットになって美しい眺望や光で満たされるようにした。それだけでなく「勾配を与える」以外に意味を持たない小屋裏の大きなデッドスペースを子供部屋のロフトベッドにし、自然光を効果的に取り入れる採光装置にした。機能を持たない各部の隙間は、機能で満たしていくことで反転、もはやこの住まいの質を決定付ける重要な要素になっている。最大の隙間である鬱蒼とした庭は、この家と集合住宅の隙間をスタート地点として、奥様の書斎まで幅を変えながら、緩やかに円弧を描く緑に囲まれた居場所に変えた。その結果、三和土を挟んで分節する緑は、リビングから見た時に心地良い奥行きをつくってくれる。この家の象徴でもある泰山木は2階のどの子供部屋からもよく見える。
と或る4月の昼下がり、ご主人はデッキテラスから庭の三和土にテーブルと椅子を移動してお茶を飲み、お嬢様は奥様の書斎で寝転がり読書をし、奥様はご主人の書斎でパソコンをする等、各人が心地良い場所を見つけて寛いでいる。まるで、絡まった糸を解し編み直すような、そんな設計作業だった。
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並列する二対の既存柱が増築の跡を残す。黒沢隆氏による奥の増築部分の天井構造を残しつつ、元々書斎であった手前の天井構造を新設し、連続させた。
1階からも樹齢50年を超える泰山木が眺められるよう、ソファの座面を低くしている。 -
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キッチンはリビングや廊下と繋がる回遊動線の一部で、ダイニング側に張り出したカウンターと2脚のスツールでもう一つの居場所をつくる。落ち着いた空間はアイテム選びも重要で、ブロンズのペンダント照明の下、セラトレーディングのキッチン水栓(KW0261002R)をセレクトしている。 -
庭を眺められるようにアイランドキッチンを配置。夜間にはルイス・ポールセンの照明が窓ガラスに映り込む。
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敷地の隙間に張り出した玄関。向かって左が坪庭で、右側がアプローチ。ガラスを介して二方から自然光が射し込み、刻々とその表情を変える。 -
1階にある奥様の書斎にはデイベッドを設置。上部には庭の風景とシンクロするように、イギリス製の植物柄クロスを張った。枠は回さず、1枚の大きな絵のように見せた。 -
奥様の書斎から廊下越しに、敷地の隙間を利用した玄関の坪庭を見る。漆黒のフローリングが減衰する光を伝えてくれる。
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キッチンから洗面方向に、敷地の隙間を利用した坪庭の景色を見る。洗面室入り口は、真鍮製のレールを空中に架け渡し、家具の側板を戸当たりにして引戸にした。 -
坪庭の景色に挟まれた洗面カウンター。自然光が降り注ぎ、半外部空間のような開放感を味わえる。
やや大きめで、シンプルでありながらも上品な丸みを帯びたセラトレーディングの洗面ボウルを二対設置している。 -
木製の一本引戸を開けると浴室は露天風呂のようになる。米ヒバ羽目板が自然光を美しく映し出すキャンバスになっている。シャワーには居心地を邪魔しないデザインのセラトレーディングのシャワーパイプ(HG27270)を採用している。