デザイナーのためのヨーロッパホテルガイド 〜水まわり編〜 Vol.95

ザ・チェス・ホテル(フランス・パリ)

2016/11/01

The Chess Hotel

Add:6 rue du Helder, 75009 Paris
Tel:+33 (0)1 48 24 10 10
E-Mail:info@thechesshotel.com URL:http://www.thechesshotel.com

パリ9区、エルダール通りに面した白と黒の正面ファサード。

パリを拠点に活躍する「ジル&ボワシエ」(Gilles & Boissier)は、まさに今をときめくインテリアデザイナーのカップル。昨年完成したニューヨークの「バカラホテル&レジデンス」やモロッコの「マンダリンオリエンタル・マラケシュ」という究極のラグジュアリーホテルのプロジェクトを大成功させている。パリ・オペラ地区のブティックホテル「ザ・チェス・ホテル」(2014年にオープン)は、これらのプロジェクトとは規模も性格も予算も全く違うが、デザイナーにとってこの上なくパーソナルなプロジェクトであった。「私達自身が本当に居心地よく本当に好きだからステイするホテル。私達が好きなアーティストとコラボレーションして、私達が好きなファニチャーを使って。つまり私達が一番好きなホテルをクリエートしたいというのが最初の気持ちだったのです。」(ボワシエ)

オペラ座からほんの5分というホテルのロケーションは観光にもとても便利だ。オペラ座正面に向かって目抜き通りのカプシーヌ通りを右へ、ベルエポックの華やかな内装で有名なブラッスリー「ル・グラン・カフェ・カプシーヌ」のちょっと先、バーガーキングが見えたらその角を左に曲がる。このオスマン通りとイタリア通りを結ぶエルデール通りはかなり殺風景で、アドレスが間違い?と半信半疑になるかもしれない。また扉を開けるとエントランスホールやロビーに出るという普通の歓迎スタイルではないのだ。インターホンを押してレセプションのスタッフに「予約しました」と伝えドアを開けてもらう。パリの心臓部の喧噪を後にちょっと秘密のデザイン&アート隠れ家のようだ。

中に入ると2階のレセプションへ向かうために奥のエレベーターに乗らないといけないわけだが、そこまでの細長い通路の美しさに思わず息をのむほど。パリの若手女流作家アリクス・ワリーン(Alix Waline)が、白い壁に黒のフェルトペンで繊細に描きあげた壮大な抽象風景。ドビュッシーの『海』の音楽が聴こえてきそうだ。ワリーンのグラフィックによる壁紙とクッションが今年ミラノで発表され、プロダクトでもこのアーティストの今後に注目したい。ジル&ボワシエがリニューアルデザインしたパリの高級日本料理店「衣川」でも、彼女の壁画を背に松花堂弁当を楽しむことができる。デザイナーは普段から美術展や美術書でチェックして、これはというアーティストにプロジェクトへの参加を呼びかける。「現場で制作してこそアーティストは光、空間のボリュームといった建築環境を真に理解し、そこに唯一の表現が生まれる。」(ボワシエ)作品を購入してインテリアに組み込むこともできるわけだが、やはりインテリアの完成度が違ってくる。

さてエレベーターのドアが開くと、白黒のチェス盤の市松パターンの床やビッグサイズのチェスの駒のオブジェが目に入り、その瞬間に冗談でなく、ここはチェスホテルと実感する。チェックインしなければいけないのにレセプションの向こうのいい雰囲気のサロン空間の方に魅了され、ついカウンターを通り越して、しばしサロン見学してしまった。2004年にデュオを結成する前、パトリック・ジルはクリスチャン・リエーグル、ドロテ・ボワシエはフィリップ・スタルクの事務所で経験を積んだ。2人はクリエーターとしてもファミリーとしても最良のパートナーだが、デザイン感覚が同じなのではなく、相反する感覚が拮抗しながら異質なものが統合され、最終的に独自のハーモニー空間がクリエートされていく。明白なコントラストの白黒のチェス盤と駒で繰り広げられる知的なゲーム、ジル&ボワシエのデザインプロセスもチェスゲームに通じるところがあるのかもしれない。

サロンの奥の壁は強烈なインパクトを放つグラフィティで、まるで息づいているようだ。コペンハーゲン在住の著名なストリートアーティスト、ヴィクトール・アッシュ(Victor Ash)による壁画。アッシュのファサードをキャンバスにした巨大な壁画は、ヨーロッパの様々な街のアイコンとなっている。ここでは墨絵のタッチで描かれたフクロウの鋭い眼差しに、ギクリとする。フクロウは夜の象徴、ここパリの夜に眠るゲストをきっと守護してくれることだろう。

ホテルのレイアウトは、残念ながら前身のホテルの悪条件な空間構成をほぼそのままに受け継ぐ他なく、客室(全50室)も比較的小さめだ。開閉に無駄なスペースを要するドアの代わりに、クローゼットやバスルームのパーティションは麻のカーテンだったりする。劇場の舞台の幕のようにそのカーテンを開けると、白黒のチェス盤パターンのタイルに、グレーの大理石の洗面台という洗練されたデザインのバスルームが登場するのだ。部屋のデザインは空間的贅沢ではなく、1つ1つのインテリア要素、ゲストが使うカスタムメードの上質のファニチャーに、デザイン価値を集中させてある。またトイレのドアの引き戸が特に美しい。ファッションデザイナーの島田順子ともコラボレーションしたことがある彫刻家・イラストレーターのシプリアン・シャベール(在ベルリン&ニューヨーク)が手掛けた、まさに京都の町家からパリに運んだような粋な襖絵のようなのだ。

ヘニングさんがチェックアウトしている間に、サロンのテーブルに用意されたチェスセットに目をやると、こんな歴史的エピソードを思い出した。今から150年も前のこと「オペラ座の対局」や「オペラ座の一夜」と言われたチェス史に残る試合がパリのオペラ座で行われたのだった。ドイツのブラウンシュヴァイク公カール2世とフランスのイゾアール伯爵の2人が、パリを訪れていたニューオルリンズ出身の若き強豪ポール・モーフィーに、2対1の試合を申し込む。勝負の場はなんとオペラ座のボックス席、それも舞台ではベッリーニの「ノルマ」が上演されていたのである。新世界アメリカからの名手が古きヨーロッパの貴族を敗った。いや演目はロッシーニの「セビリアの理髪師」だったという説もあるが、オペラのストーリーのドラマチック性やアリアの美しさを考えると「ノルマ」を聴きながら、という伝説の方を私は記憶にとどめておきたい。

エントランスとエレベーターを結ぶ地上階の通路。アリクス・ワリーン(Alix Waline)の壁画と照明デザインが総合芸術空間をクリエート。

レセプション前のアーティスティックなコーナー。

チェスの黒い駒とアリクス・ワリーンのアートが絶妙にマッチ。

レセプション&コンシェルジュ・カウンターの奥に「オネスティバー」。ボトルの間にもチェスの駒を発見。

チェス盤の床のサロン。朝食もここで。ヴィクトール・アッシュ(Victor Ash)のフクロウの壁画がすごいインパクトで迫る。

ブルー、芥子色、乾いた土の色など客室階はそれぞれがテーマカラーを持つ。

部屋に入ってすぐ右手にトイレ。シプリアン・シャベール (Cyprian Chabert)のドローイングになる引き戸のデザインが素晴らしい。

トイレのタイルもチェスを連想させる白黒のパターン。

最もリーズナブルなダブルルーム。カララ大理石のマテリアルを使ったデスクが見事。

ノスタルジックな電話。

ブラケットランプの美しいシェード。

床板のユーズドな窪み具合がユニーク。

デスクの椅子の背やスリッパのテキスタイルにシプリアン・シャベールのドローイングをプリント。

バスルームとのパーティションは麻素材のカーテン。

小さな白黒のタイルで壁全面覆ったバスルーム。カララ大理石のシンクは石にクロスの溝を刻んで配水。

ホテルからほんの5分歩けばオペラ・ガルニエ。

オペラ座バレエのシーズンオープニング・ガラではスターフローリストのエリック・ショーヴァンによるエキゾチックな花のデコレーションでガルニエ宮は楽園と化した。