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2017/08/01
トリアノンパレス・ヴェルサイユ、ア・ウォルドルフ・アストリア・ホテル(フランス・パリ)
ヴェルサイユ宮殿の庭園に隣接するという、究極のロケーションを誇るホテル「トリアノンパレス・ヴェルサイユ」。パリの喧噪を離れ、ヴェルサイユの緑の自然に囲まれた環境にデラックスホテルを建設したいと、パリの実業家ヴェイユ・マルティニャンが一念発起したのは、1907年のことであった。フランスの17世紀18世紀の建築を愛した建築家ルネ・セルジャン(1865-1927)の設計で、気品あふれる白亜の館が、1910年5月1日にホテルとして誕生した。セルジャンは古典的建築と、20世紀初めのモダンなコンフォートを融合するスタイルで評価され、ヴェルサイユのプチ・トリアノン宮殿にインスパイアされた、パリのニッシム・ド・カモンド美術館や、ロンドンのサヴォイやクラリッジといった由緒あるホテルの増改築も手掛けた。
創業以来、このホテルを訪れた著名人は数えきれない。その頃フランスに逃亡していたイタリアのスキャンダラスな作家ガブリエーレ・ダヌンツィオが、300人ものゲストと祝宴を開いたりもした。サラ・べルナール、マルセル・プルースト、ジャック・ブレル、ジャン・ギャバン、ジャンヌ・モローetc…。王冠を賭けた恋として、歴史に語り継がれたウィンザー公爵(元英国王エドワード8世)夫妻は、トリアノンパレスでハネムーンを過ごしたのであった。1930年代には、コンコルド広場からホテルまで直通の出迎え車が、なんと日に3度も運行していたという。
ホテルは2007年にウォルドルフ・アストリア・コレクションの欧州進出初のプロジェクトとして再オープンする。億単位の投資でロンドンを拠点に国際的に活躍する「リッチモンド・インターナショナル」(代表:フィオナ・トンプソン)が全面改装した。フォーシーズンズやザ・ランガムといった最高級ホテルのプロジェクトを次々と成功させているホスピタリティーデザイン事務所だ。クラシックとフレンチシックを調和させたインテリアは、ヨーロッパホテルデザイン賞のロビー & パブリックエリア部門賞に輝いている。
エントランスホールのアイキャッチャーは、モノクロ大理石の床の抽象的パターン上で、ビビッドに映える春の緑色のソファと、神秘的な光を放つ強烈な存在感のシャンデリア(アンドロメダ社)だ。ムラノガラスをまるで毛糸のマフラーを編み上げたようなユニークな造形システムは、カリム・ラシッドが開発し「ニット」と呼ばれている。ホールを抜けると、リズミカルなチェス盤パターンの大理石の床のそれは長い廊下に出る。ウィンターガーデンのように、片側が庭と面したエレガントなティーサロン的なラウンジへ続いているが、世界で唯一ヴェルサイユ宮殿の王立菜園のリンゴをブレンドした、その名も“マリーアントワネット”という気品漂うニナス社の紅茶も、ここで飲むとオーセンティックな味がするかもしれない。
ホテルにはいずれもゴードン・ラムゼイの監修で、2タイプのレストランがある。1つはミシュラン2つ星のグルメレストラン、洗練された華やかさの「ゴードン・ラムゼイ・オ・トリアノン」(Gordon Ramsey au Trianon)。もう1つは、夏はヴェルサイユの庭園に面して広いテラス席もあるカジュアルな雰囲気でオールデイ・ダイニングの「ラ・ヴェランダ」(La Veranda)。通常の朝食はラ・ヴェランダだが、大手の某薬品会社の貸し切りになっていて、そのおかげで歴史的な「クレマンソーの間」に案内されることとなった。第1次世界大戦後、トリアノンパレスは連合国首脳陣本部となり、当時の仏首相クレマンソーの名を冠したこのサロンで、1919年にヴェルサイユ宮殿の鏡の間で調印されることになる講和条約が草案されたのだった。
私達が滞在した時、ゴードン・ラムゼイ・オ・トリアノンでは、金曜と土曜に本当にこの料金でいいのかと余計な心配するほどのクオリティーのランチが楽しめたが、今はなくなってしまったようで残念だ。ボルディエのバターが岩石か彫刻作品のような塊から、木のへらであっという間に渦巻く円錐に成形されるのに始まる。あっという間に2時間が過ぎていた。星付きレストランなんて滅多に行くこともないので、内心はお料理の写真も撮りたかったが、撮れなかったのには理由がある。ヴェルサイユ宮殿王立歌劇場に出演中のオペラ歌手とランチの約束をしていて、テーブルに着くなり「よくスマホでレストランの食事の写真を撮る人がいるけれど、あれってホントに興ざめだよね」と言われてしまったのだ。この一言でさすがにカメラを取り出すことはできなかったのである。
またゲランのスパ施設(The Guerlain Spa)には、庭園も眺められるテラス付きで、古代の神殿風のプール(200㎡と広い)もあり、ここで泳いでいると、往路でつい数時間前には高速の渋滞に疲れきっていたことも忘れて、リゾート気分も湧いてきた。
植物が四季折々の美しさをシンフォニーで奏でるようなホテルの庭園をデザインしたのは、パリのルイ・ベネック。ベネックは最近ではル・ノートルによるヴェルサイユの庭園に、300年の時を経て21世紀に相応しい「水の劇場」を復活させる等、フランスを代表する著名な造園家である。手入れの行き届いたこの庭園を挟んで、ホテルは歴史的パレスの本館と、1990年に新築されセミナー施設も整うパビリオンの2つの建物で構成される。客室は、本館にデラックスのガーデンビュー、パークビューとスイートが100室、パビリオンにクラシック、クラシックガーデンビューの99室と、全199室。泊まった部屋は高貴と権威の象徴であったロイヤルパープルのファニチャーやテキスタイルが、ブルボン王朝を偲ばせる。2泊したうちの1泊目は本館に空きがなくて、パビリオンの方になった。ウォルドルフ・アストリアといえばヒルトン系ホテルブランドでも最高級だが、例えばミニバーが壊れていて清涼飲料がまるでお湯の温度になっている等、メンテナンスがあまりよくなかったので、予約時には本館の部屋にこだわった方が無難だろう。
トリアノンパレスへはランニングシューズを忘れずに持参したい。というのもパリ宿泊ではどんな贅沢なホテルでも経験できない醍醐味が待っているのだ。ホテルから王妃(レーヌ)大通りに出て、右のヴェルサイユ庭園への門が開かれると同時に入ると、まるでわが家の庭園のように誰も観光客がいないうちからジョギングできる。一汗流した後の朝食は美味しさも倍増だ。芝生にはもぐもぐ草を頬張る羊の群れまでいて、宮殿見学の混雑振りと比べると信じられない長閑さ。ひょっとしたらマリー・アントワネット王妃の羊が何百年も生き続けたのかと想像したくなるくらいで、ここだけフランス革命前から時間が止まっているようであった。
フランス
2017/05/08
カサ・エリュール(マルタ・バレッタ)
地中海に浮かぶマルタ島の要塞都市バレッタ。世界遺産にも登録されているマルタ共和国の小さな首都では、近年その独特のバロック時代からの伝統建築と、コンテンポラリーなデザイン & ライフスタイルを融合して、文化価値の高いホテルに再開発する意欲的なプロジェクトが増えてきている。マルタのバレッタが「欧州文化首都2018」の1つに選ばれているのもそのトレンドの契機となっていよう。
バレッタの心臓部を横切るオールドシアター通りに、2014年のマルタ・デザイン週間にあわせてオープンした「カサ・エリュール」は、今日のバレッタにおけるデザインホテルやブティックホテル開発ブームのパイオニア的プロジェクトである。アイコニックなドーム建築を誇るカーマライト教会の真向かい、ヨーロッパ最古のオペラハウスの1つに数えられるマノエル劇場の斜め向かい、バレッタ市街でもこんな絶好ロケーションのラグジュアリーなホテルはない。スイート8室のみという本当にエクスクルーシブなホテル。この隠れ家的ホテルはVIPの滞在も少なくないが、英国のハリー王子の恋人として今注目される米女優メーガン・マークルもその1人であった。
マルタストーンと呼ばれる蜂蜜色の石灰石になるオリジナルのネオクラシックな建築は、カサ・エリュールという名が示唆するように、代々続くエリュール家の邸宅であった。初期ヴィクトリア時代の1837年に改築開始され、バロックやロココの装飾過多気味なスタイルから、エレガントでスマートなスタイルになり、当時最も美しいタウンハウスに数えられたという。ホテル仕掛人は、5代目を受け継ぐマシューとアンドリューの兄弟で、本業の老舗「エリュール・ワインズ & スピリッツ」店を経営する。ホテルのゲストはこのワインショップでマルタ産ワインのテイスティングに招待される特典もある。
実は兄弟は、相続したタウンハウスを売却すべきか保持すべきか悩みに悩んでいたと言う。観光業が最重要なマルタだが、バレッタは21世紀に入っても理想的宿泊設備が整っているとはお世辞にも言えなかった。知人の建築家クリス・ブリッファのアイデアと説得で、兄弟が決心する。オリジナルの構造に最小限の変化のみ加え、オーセンティック性を確約し、エリュール家を築いてきた様々な人の生涯や、個性に捧げるインテリア、ホテル内にエリュール家の“私の歴史”が残ることを条件にゴーサインが出た。構想から18ヶ月を経て新古が見事に融合。複雑なプランニングは言うまでもない。既存の空間だと5スイートだけ可能だが、これではビジネスにならない。そこで屋上に増築する提案がホテル経営を具体化させた。わが家では残念ながら予算オーバーだったので、写真では紹介できないが、夜には神秘的にライトアップされる数メートル先のカーマライト教会の屋根を手に取るように感じられるジャクジーバス付きのテラススイートがその増築部だ。インテリアデザインのディテールは、バレッタの建築遺産がそのアイデアの源だったと言う。
ホテルの玄関に入るには、まずドア前に設置されている鉄柵を開けないといけない。多分ヨーロッパではマルタでしかお目にかかることはないだろう。バレッタ中で目につく何のためか不思議なこの柵、なんでも元々は通りを移動する羊が家に入らないようにしたのが始まりだとか。バレッタのタウンハウスに典型的なヴォールト天井のエントランスホールは、展示作品が変わりアートギャラリーの性格もある。マルタの実験的写真家でマルチメディアアーティスト(Ritty Tacsum)が、朝食レストランや客室にエリュール家の人々やマルタの街の場面をカメラで捉えたフォトコラージュを制作した。
バレッタのタウンハウスにある雰囲気の良い中庭の構造もユニークだ。ここでは、ナポリ国立考古学博物館蔵のファルネーゼの彫刻にインスピレーションを受けたというギリシャ神話の英雄神ヘラクレス像と、暖炉もあるモダンなデザイン家具のラウンジが好対照をなす。鮮やかなグリーンの芝生が足元でなく、壁に高く伸びて行くのも楽しい。
泊まったのは中庭を見下ろす2Fの静かなツインデラックスの「スイート2」。ベッドルームの床を彩るマルタ独特のパターンのタイルは伝統あるHalmann Vella社でハンドメイドされたものだ。リネン類も肌触りからとてもラグジュアリーだ。収納用には、マルタのアンティークな雰囲気のアールデコ調の木の家具。バレッタのような街では、部屋にTVなんかなくていいとも思うが、置かないわけにはいかないだろう。レトロなデザインのファニチャー感覚で、違和感がなくインテリアに溶け込む。
クリス・ブリッファのデザインは、とりわけバスルームへのこだわりが半端ではない。この部屋もバスルームの方がベッドルームよりも広い。バスローブの紐をくるくる巻きする置き方や、タオルの掛け方も凝っている。床や壁にはカララビアンコとグレーのバルディリオのイタリア産大理石。カップルなら1人がバスタブでリラックスし、1人はアンティークの振り子時計を背景に、トイレ前にあるシックなフランス製のブルーグレーの椅子に座っておしゃべりできる。もうこうなるとバスルームというよりは、バスルームを超越したリビングルームである。
マルタ
2017/03/01
ザ・ウェスティン・ハンブルク(ドイツ・ハンブルク)
今年の1月に、ガウク大統領やメルケル首相も参席して、グランドオープニングを祝ったばかりのエルプフィルハーモニー・ハンブルク。エルベ川の水上に誕生したこのスペクタクルなコンサートホールは、建築(ヘルツォーク & ド・ムーロン)も音響設計(豊田泰久)も奇跡的と絶賛される。旧埠頭倉庫の煉瓦造りのインダストリー建築を土台に、音楽のためのガラスのカテドラル(高さ110m)が空に向け大きく波立つ。このハンブルクの新しいランドマークは、そこに寝泊まりできるというのも他のコンサートホール施設ではありえないことだ。エルプフィルハーモニーに一足先立ってホテル「ザ・ウェスティン・ハンブルク」は、昨年11月にオープンした。ハンブルク市の公共建築をホテル会社が20年契約でリーシングという形も珍しいだろう。つまり実際には、ホテルのインテリアも市の所有だということだ。建築の南東部分がホテル(全244室)になっている。
エルプフィルハーモニーは、欧州最大のウォーターフロント再開発事業であるハーフェンシティの西の先端に君臨する。ファサードのデジタルアートもエキサイティングなエルプフィルハーモニーへのエントランス同様に、ホテルへのエントランスも建物東側のドイツ統一広場に面する。8Fに位置するホテルのレセプションロビーまで、ホテル客専用の直通エレベーターが利用できる。荷物を部屋に置いたら、是非ともまた下のエントランスに戻り、今度は一般客が利用するルートで改めて8Fのロビーに入ってみよう。到着先が見えず、未来へのタイムトンネルのような「チューブ」と呼ばれるエスカレーターで、地上37mの8Fの「プラザ」に出る。20世紀の倉庫の屋上と、21世紀のガラス建築との間に、ダイナミックに形成された公共のプラットフォームだ。他のどこでも経験できないハンブルクの眺めを楽しみながら、ぐるりと一周できるパノラマウォークも観光客には大人気。ホテルロビーはガラスウォールで、視覚的にオープンにプラザと繋がる。
インテリアは、大手ホテルチェーンの数々のプロジェクトをこなしてきたベルリンを拠点とするタッシロ・ボスト(ボストグループ)と、ウェスティン・グローバル・デザインチームとのコラボーレーション。エルプフィルハーモニーは政治スキャンダルにも巻き込まれ、10年がかりでやっと完成した紆余曲折のプロジェクトで、ホテルのデザインも基本的には8年前にほとんど決まっていたのだった。しかしせっかくデザインしたスイートは建築デザインの変更があり、突然空間に支柱が出現し、またやり直しという苦労もあったと聞く。トレンディな要素や、時代精神を強く表現する要素はできるだけ排除して“ピュア”と“ハーモニー”をキーワードにデザインされた。このホテルの主役は窓やファサードガラスからの眺め。インテリアはその眺めを妨げることがない一歩も二歩も下がった控えめなデザインなので、ホテルのインテリアにも建築に匹敵する先鋭なデザインを期待すると、物足りなくちょっとがっかりするかもしれない。「インテリアは世界文化遺産にも指定されている歴史的な美しい倉庫街や、新しいハーフェンシティにエルベ川を走るクルーズ船、この唯一の周辺環境への敬意の表れでもあります。」とデザイナーは言う。
ホテルのロビーから続くバー「ザ・ブリッジ」(The Bridge)では、シャープな建物のエッジに位置する“キャプテンテーブル”と呼ばれるコーナーが最も眺めがいい。このレベルはクルーズ船やコンテナ船のブリッジと同じ高さで、船長の視線を追体験できるのだ。レストラン「ザ・サフラン」(The Safran) は、嘗てコーヒー、紅茶、タバコを貯蔵していた倉庫内7Fにできた。インテリアも名前が示唆するように、様々な香辛料や香草からイメージされた色彩やマテリアル感に満ちる。オリジナルデザインの照明には漁師が使っていたオマール海老捕獲用の籠にインスピレーションを受けたものもある。空間を巧くセパレートする彫刻的なコラムは錆びを帯びたような表面で、ハンブルクの港の船やクレーンの鉄鋼のマテリアルを連想させる。レストランからもプールからも土台となる倉庫の小さな四角い窓は、港のワンシーンをモチーフにした写真を額に入れた作品のようでもある。
客室には様々なタイプのスイートが39室あり、スイートの数が多いのも特徴だ。今回はスイートの中で最もコンパクトな“エルプフィルハーモニー・スイート”(46㎡)を予約した。ハーフェンシティから市街までの景色が広がる正面ファサード側の部屋。特にハンブルクで生まれ育ったヘニングさんには、ハンブルク人にとって象徴的存在である聖ミヒャエル教会を見下ろせるのが感動的とのことだった。最先端テクノロジーを駆使して実現可能になったリズミカル & メロディアスな曲面ガラスのファサードが、まさに自分の部屋の天井から床までのパノラマウインドウとなる。部屋からの眺めと自分の手で触れるガラスのファサードの美しさ。ガラス面のドットパターンは、直射日光の量を調整する機能がある。小さな楕円窓は開けることができ、カモメの鳴き声や汽笛の音が時折かすかに部屋に入ってくる。インテリアは水、空気、風、土、砂といったエレメントからイメージを膨らませ、くくり付け什器は「ストラクチュアと色彩が川水にさらされた木のタッチを醸し出すように」木の表面加工を開発したという。静謐でナチュラルなトーンにまとまり、波の造形もディテールに見られる。
デザイナーのボストは「バスルームのデザインがホテルの部屋の良し悪しを決定する」と断言していた。バスルームはバスタブからの眺めがまた素晴らしい。外から見られることはないので、カーテンを引く必要もなく、露天風呂気分で夜景を満喫できる。
エルプフィルハーモニーでのコンサート&ホテル宿泊、音楽ファンには一度だけでもいいから経験したい、忘れられない1日になるだろう。ただしこれを実現するには。1つの難関を突破しないといけない。目下のところあまりの関心の高さに、コンサートチケットは発売と同時に即完売になってしまうのだ。
ドイツ
2016/11/01
ザ・チェス・ホテル(フランス・パリ)
パリを拠点に活躍する「ジル&ボワシエ」(Gilles & Boissier)は、まさに今をときめくインテリアデザイナーのカップル。昨年完成したニューヨークの「バカラホテル&レジデンス」やモロッコの「マンダリンオリエンタル・マラケシュ」という究極のラグジュアリーホテルのプロジェクトを大成功させている。パリ・オペラ地区のブティックホテル「ザ・チェス・ホテル」(2014年にオープン)は、これらのプロジェクトとは規模も性格も予算も全く違うが、デザイナーにとってこの上なくパーソナルなプロジェクトであった。「私達自身が本当に居心地よく本当に好きだからステイするホテル。私達が好きなアーティストとコラボレーションして、私達が好きなファニチャーを使って。つまり私達が一番好きなホテルをクリエートしたいというのが最初の気持ちだったのです。」(ボワシエ)
オペラ座からほんの5分というホテルのロケーションは観光にもとても便利だ。オペラ座正面に向かって目抜き通りのカプシーヌ通りを右へ、ベルエポックの華やかな内装で有名なブラッスリー「ル・グラン・カフェ・カプシーヌ」のちょっと先、バーガーキングが見えたらその角を左に曲がる。このオスマン通りとイタリア通りを結ぶエルデール通りはかなり殺風景で、アドレスが間違い?と半信半疑になるかもしれない。また扉を開けるとエントランスホールやロビーに出るという普通の歓迎スタイルではないのだ。インターホンを押してレセプションのスタッフに「予約しました」と伝えドアを開けてもらう。パリの心臓部の喧噪を後にちょっと秘密のデザイン&アート隠れ家のようだ。
中に入ると2階のレセプションへ向かうために奥のエレベーターに乗らないといけないわけだが、そこまでの細長い通路の美しさに思わず息をのむほど。パリの若手女流作家アリクス・ワリーン(Alix Waline)が、白い壁に黒のフェルトペンで繊細に描きあげた壮大な抽象風景。ドビュッシーの『海』の音楽が聴こえてきそうだ。ワリーンのグラフィックによる壁紙とクッションが今年ミラノで発表され、プロダクトでもこのアーティストの今後に注目したい。ジル&ボワシエがリニューアルデザインしたパリの高級日本料理店「衣川」でも、彼女の壁画を背に松花堂弁当を楽しむことができる。デザイナーは普段から美術展や美術書でチェックして、これはというアーティストにプロジェクトへの参加を呼びかける。「現場で制作してこそアーティストは光、空間のボリュームといった建築環境を真に理解し、そこに唯一の表現が生まれる。」(ボワシエ)作品を購入してインテリアに組み込むこともできるわけだが、やはりインテリアの完成度が違ってくる。
さてエレベーターのドアが開くと、白黒のチェス盤の市松パターンの床やビッグサイズのチェスの駒のオブジェが目に入り、その瞬間に冗談でなく、ここはチェスホテルと実感する。チェックインしなければいけないのにレセプションの向こうのいい雰囲気のサロン空間の方に魅了され、ついカウンターを通り越して、しばしサロン見学してしまった。2004年にデュオを結成する前、パトリック・ジルはクリスチャン・リエーグル、ドロテ・ボワシエはフィリップ・スタルクの事務所で経験を積んだ。2人はクリエーターとしてもファミリーとしても最良のパートナーだが、デザイン感覚が同じなのではなく、相反する感覚が拮抗しながら異質なものが統合され、最終的に独自のハーモニー空間がクリエートされていく。明白なコントラストの白黒のチェス盤と駒で繰り広げられる知的なゲーム、ジル&ボワシエのデザインプロセスもチェスゲームに通じるところがあるのかもしれない。
サロンの奥の壁は強烈なインパクトを放つグラフィティで、まるで息づいているようだ。コペンハーゲン在住の著名なストリートアーティスト、ヴィクトール・アッシュ(Victor Ash)による壁画。アッシュのファサードをキャンバスにした巨大な壁画は、ヨーロッパの様々な街のアイコンとなっている。ここでは墨絵のタッチで描かれたフクロウの鋭い眼差しに、ギクリとする。フクロウは夜の象徴、ここパリの夜に眠るゲストをきっと守護してくれることだろう。
ホテルのレイアウトは、残念ながら前身のホテルの悪条件な空間構成をほぼそのままに受け継ぐ他なく、客室(全50室)も比較的小さめだ。開閉に無駄なスペースを要するドアの代わりに、クローゼットやバスルームのパーティションは麻のカーテンだったりする。劇場の舞台の幕のようにそのカーテンを開けると、白黒のチェス盤パターンのタイルに、グレーの大理石の洗面台という洗練されたデザインのバスルームが登場するのだ。部屋のデザインは空間的贅沢ではなく、1つ1つのインテリア要素、ゲストが使うカスタムメードの上質のファニチャーに、デザイン価値を集中させてある。またトイレのドアの引き戸が特に美しい。ファッションデザイナーの島田順子ともコラボレーションしたことがある彫刻家・イラストレーターのシプリアン・シャベール(在ベルリン&ニューヨーク)が手掛けた、まさに京都の町家からパリに運んだような粋な襖絵のようなのだ。
ヘニングさんがチェックアウトしている間に、サロンのテーブルに用意されたチェスセットに目をやると、こんな歴史的エピソードを思い出した。今から150年も前のこと「オペラ座の対局」や「オペラ座の一夜」と言われたチェス史に残る試合がパリのオペラ座で行われたのだった。ドイツのブラウンシュヴァイク公カール2世とフランスのイゾアール伯爵の2人が、パリを訪れていたニューオルリンズ出身の若き強豪ポール・モーフィーに、2対1の試合を申し込む。勝負の場はなんとオペラ座のボックス席、それも舞台ではベッリーニの「ノルマ」が上演されていたのである。新世界アメリカからの名手が古きヨーロッパの貴族を敗った。いや演目はロッシーニの「セビリアの理髪師」だったという説もあるが、オペラのストーリーのドラマチック性やアリアの美しさを考えると「ノルマ」を聴きながら、という伝説の方を私は記憶にとどめておきたい。
フランス
2016/09/01
アルテス・シュタールヴェルク(ドイツ・ノイミュンスター)
ノイミュンスターは、バルト海と北海に挟まれるドイツ最北端の州、シュレースヴィヒ=ホルシュタインの小都市。19世紀には「ホルシュタイン地方のマンチェスター」と異名をとるほど、繊維や皮革産業で繁栄していたという。21世紀の今日は、ノイミュンスターと聞くと、まず頭に浮かぶのはデザイナー・アウトレットセンターぐらいで、正直なところ何も見所がないイメージ。ハンブルクからは1時間もかからないが、ハンブルク育ちのヘニングさんでさえ、一度も行ったことがなかったのだった。それがこのユニークなビジネス&ライフスタイルホテル「アルテス・シュタールヴェルク」(旧製鋼所)と、ひっそりと息づくプライベートの美しい彫刻公園の存在を知って、前から計画していたリューベックへの週末旅行を急遽ノイミュンスター経由にしたのだった。
「旧製鋼所」という名前からも察しがつくように、前世紀の重工業の残骸をホスピタリティー空間へと再開発したホテルだ。レンツブルガー通りのホテルのエリアは、1926年に建設された「ノルディッシェ・シュタールヴェルク(北の製鋼所)」の工場だった。この製鋼所は、船舶や大機械のパーツを生産していたが、2001年に閉鎖を余儀なくされ、その後は施設の廃墟化が進んで行った。金属目当ての泥棒が後を絶たず、グラフィティアーティストには、願ってもいないクリエーションの場となり、秘密のパーティー会場となり、インダストリー廃墟独特のロマンにファッション雑誌の撮影にも使われたりした。ついに放火による火災事件で建物崩壊が危惧され、解体の決定が下り、2008年にディベロッパーのヤン・ピンノとシュテファン・ヨハンゼンが800万ユーロを投資し、再開発プロジェクトを発足させたのだった。2012年に客室やセミナー&イベント用の新築2棟と、オリジナル建築のレストランの計3棟から成るホテルコンプレクスが完成する。
建物の大半は、保存状態が悪く取り壊さなければならなかったが、かつては砂吹き付け機で鉄鋼パーツが研磨されたホールは再利用可能で、迫力ある天井採光のアトリウム的大空間に、コンプレクスの心臓部となるレストラン&バー「摂氏1500度」(1500 Grad Celsius)ができた。毎月ドイツの人気シンガーソングライター等のコンサートも開かれる。旧製鋼所の歴史を暗示すべく、スチールの溶点の温度を名前に選んである。走行ウィンチ台車なども残り、工場建築独特の魅力を今に伝える。建築家のヴィレム・ハインとトーマス・ラーデホフは、古いインダストリー建築への敬意を忘れず、旧製鋼所から放たれる無二の雰囲気を、未来へも心地よく残すことをコンセプトに、元来は力強い男達が汗だくで労働に勤しんだ場所を、今のライフスタイル表現の場所に変貌させる課題へと挑んだ。現場のインダストリー廃墟の美が、デザインのインスピレーションの源だった。
インテリアは、キール・ムテジウス芸術大学の学生を対象にしたコンペで集まったアイデアを活かして、デザイナーのラインホルト・アンドレセン(在デンマーク)が担当。オリエンテーションデザインとしての館内のコンクリート壁をクールに彩るグラフィティが楽しい。トイレもルームナンバーのグラフィティも凝りに凝っている。これらはインテリアデザイナー(愛称ナージー)と、イギリス人のアーティスト、ブラッド・ショーン(愛称ショーニー)のコンビ「NASH」のなせる技だった。研磨ホール内のトイレで男性と女性の手洗いコーナー間のパーティションのデザインが、新しいコミュニケーションの可能性を生んでいる。モザイクのようにレーザーカットした錆スチール板の孔から向こう側で手を洗っているゲストと思わずチラリと顔合わせ。その予期せぬ瞬間に誰もが笑ってしまう。この出会いが縁で、いつかカップル誕生となるかもしれない。
7階建ての新築客室棟は、S、M、Lの3サイズのダブルルームと、XLのスイート3室で、計100室。パープル、オレンジ、グリーンとフロア毎にテーマカラーがあり、部屋のインテリアはインダストリー文化をコンテンポラリーに解釈したデザインに仕上がっている。ベッド上の壁にも飾られている写真シリーズは、ノイミュンスター在住の写真家、マリアンネ・オープストの作品。
ドイツ
2016/06/01
ネスト・ホテル & スパ(ベルギー・ナミュール)
ベルギーの首都ブリュッセルから南東へ約60km、ムーズ河岸の古い城下町ナミュールは「ムーズ川の真珠」と喩えられる光景の街だ。人口10万人ほどだが、ワロン文化圏の中心都市でもある。実はナミュールが旅の目的で「ネスト・ホテル & スパ」に泊まることになったのではない。ハノーファーからフランスに向けて車で出かけると、どうしても途中で1泊しないと距離的に不可能なだけなのだった。グーグルマップで計算したら、ノルマンディー方面へのルートは、ナミュールが時間的にもベストな位置という偶然の結果だ。どうせ夕方着いて翌朝もすぐ発つだけと、ブッキングドットコムでなんとなく選んだのだった。それが現地に着いたらあらゆる点で予期せぬ素晴らしさに驚き、感動さえしてしまったのだ。
中世初期のフランク王国時代に建設された城壁(シタデル)のある小高い丘をぐるっと車で回り、ルドルフ・シュタイナーの建築のようなデザインの門を発見するまでは、本当にこの閑静な住宅街の中に予約した宿があるのか、半信半疑になるくらいだった。そして駐車場に入る直前、木の根元から地上に持ち上がるようなオーガニックなランドマーク的パビリオン建築を目にし、唖然となった。音楽批評家ヘニングさんの言葉を借りると“ドビュッシーの「沈める寺」の感覚”だったそう。パビリオンの中は14人まで収容でき、ミーティング、プライベートシネマにも利用可能な多目的空間に構成されていた。
「ネスト・ホテル & スパ」は隠れ家的なアーバンラグジュアリーリゾート。19世紀の大農家の今では使い道のなくなった建物コンプレクスのオーナーが、なんと構想から10年もの歳月をかけ、妥協を許さず修復改装し、夢を追い続けた結果だ。オリジナル建築への尊敬と愛が、建築デザインのディテールからひしひしと伝わってくる。ホテル名「ネスト」の意味の通り、ゲストが「巣」と感じられる心地よさのミクロコスモスを築き上げた。ネスト(Nest)の綴りは意図的にSの箇所が5の数字に置き変えられている。ジョークでなく、このホテルのデザインコンセプトが、5に暗示されているのだ。木、火、金属、水、土という5元素の調和を目指したのだった。施設の中心には生命の源となる水のエレメントが、プールの形になった。空と周囲の木々の自然が四角い水面に映し出され、泳いでこの美しいイメージを破壊するのが口惜しくなりそうなほどだ。金属のエレメントは例えば更衣室のドアの錆鉄に表れるのだった。
エコロジカル&バイオロジカルな建築を研究実践し「建築と自然」という名の設計事務所をナミュール近郊のタンプルーで主宰する建築家ユヴェール・ソヴァージュが、廃農家をサステイナブルに21世紀のホスピタリティ空間に蘇生させる難仕事を成し遂げた。インテリアはナミュール近郊のウェピオンのデザイナー、ピエール・ブライとオーナー夫人とのコラボレーションが実ったものである。
宿泊施設は「コージーネスト」、スパは「ウェルネスト」、レストランは「リンクネスト」と呼ばれる。ネストの客室はたった6室のスイートだけで、全室のデザインテーマが異なる。私達の一番小さい「コージー・スイート」でも55㎡の広さだ。農家建築の小屋組の屋根構造や梁が空間デザインに活かされ、各室ともバスルームのデザインが凝りに凝っている。モナコ大公のアルベール2世や、ベルギーのフィリップ王夫妻も滞在されたそうだ。
朝食は、お花のアレンジから食器のコンビネーション、角製のオブジェのようなソルト&ペッパーミルなど、まず食べる前からテーブルのセッティングが素敵で嬉しくなった。パン入れの器も粘土を造形する陶芸家の手が見えてくるような触感がある。するととても気さくで感じのいい人がキッチンから出てきて、朝のご挨拶をして「卵はいかがいたしましょうか」と尋ねてくれた。何も前知識がなかったので、てっきり朝食担当に雇われている地元スタッフと思っていたが、ちょっと話をしているうちに、実はこのホテルのオーナーのブノワ・ゲルスドルフ(Benoît Gersdorff)氏で、ベルギーの著名なシェフとのことでびっくりしてしまった。
そうとわかっていたら茹で卵でなく、せめてオムレツでも頼めばよかったと後悔した。でも茹で卵が鶏の足を象った斬新なアイデアの白磁のエッグスタンドで登場した時「これはすごい!茹で卵にしてよかった!」気分を取り直した。ミシュランの星付きのシェフに茹でてもらう茹で卵なんてこれが最初で最後かもと思い、一匙一匙をしみじみと味わったのだった。
ベルギー
2016/03/01
ハイアット・リージェンシー・ニース パレ・ドゥ・ラ・メディテラネ(フランス・ニース)
ニースの天使の湾に沿って、プロムナード・デ・ザングレが東西に伸びる。椰子の木が並び、南国の雰囲気が漂う海岸遊歩道だ。この大通りに面して、ニースで最もユニークなファサード建築を今に残すホテルが「ハイアット リージェンシー ニース パレ ド ラ メディテラネ」である。同じ通りにあるホテル「ル・ネグレスコ」(次ページで紹介)のベル・エポック建築と、パレ・ ド・ ラ ・メディテラネ(地中海の宮殿)のアールデコ建築はランドマークとなっていて、その2つの建築からニースの街の現代物語が綴られてきた。アントワーヌ・サルトリオによるファサードのレリーフ彫刻は、地中海に昇る太陽の光を背景に、2頭の海の馬から駆け上がり、空にはカモメが飛び交い、女神が豊かな自然の恵みを象徴する。夜には照明効果で、よりドラマチックに馬や女神の輪郭が浮き上がる。
パレ・ ド・ ラ ・メディテラネは、元々カジノを中心としたゴージャスな娯楽施設で、1929年にシャルル&マルセル・ダルマスの設計で完成した。今のファサードの柱の間が、地中海に向けて比類ないパノラマウィンドーだったのだ。2つの世界大戦の狭間、黄金の1920年代、グラマラスな1930年代には。世界のショーウィンドーたる華やかな存在だった。ジャンヌ・モローがギャンブルに身を崩す女を演じた、ジャック・ドゥミ監督の映画「天使の入り江」に出てくるカジノの建物である。ここのカジノは、当時モンテカルロのカジノと肩を並べる社交界の花形舞台だった。オープニングには、アメリカの富豪グールド夫妻の招待で、チャップリンを始め、当時のセレブ達が国内外から集まった。1,000人収容の劇場では、エディット・ピアフ、ジョゼフィン・ベーカーやルイ・アームストロング、デューク・エリントン等、世界のトップスター達がステージに上がったものだった。
1978年には、ニースのカジノ戦争とも言われたそうだが、カジノ所有権を巡るごたごたに巻き込まれ、建築保護法下にあったファサードだけ残し、建物は解体されてしまう。2004年にやっと修復再建され、デラックスホテルとして再生した。コンコルドホテル & リゾートから、3年前にハイアットが譲り受け、現在に至っている。
「シンプリシティの創造性」をモットーに掲げるデザイナー、シヴィル・ド・マルジェリー(SMデザイン社)がホテルのインテリアを手掛けた。パリのマンダリンオリエンタルの客室やスパのインテリアも彼女の仕事である。パレ・ ド・ ラ ・メディテラネの館内のロビーなど、アールデコの装飾的なエレメントやマテリアル、色を効果的に使い、華やかな時代の空気を蘇らせると同時に今日性も忘れない、コンテンポラリー・アールデコなインテリアに仕上がっている。
パブリックスペースのハイライトは、3Fのガーデンテラス。かつてカジノだった空間だ。特にフロントファサードの柱間にあるテーブル席で、グラスを傾けながら夕陽が沈む絶景を待つのはとてもロマンチックだ。ホテルのラウンジバーやレストラン「ル・トロワジエム」(Le 3e)も、屋根のないアトリウム的な空間のガーデンテラスに面している。プールは温水で、ニースには珍しく、冬でもアウトドアで泳ぐことができた。
客室はスイート9室を含む全187室で、その多くは3Fのガーデンテラスをコの字型に囲んでバルコニーが付く。位置によりファサードの構造が視界を妨げ、必ずしも海がよく見えるわけではなさそうだ。海が見える部屋を予約しておいたら、思いがけないクリスマスプレゼントで、このホテル最高の「ペントハウス・スイート」にアップグレードされ、本当にびっくりしてしまった。最上階9Fのスイートは117㎡もの広さで、バスルームはベッドルームよりも広く、バスタブも子供なら泳げるほどのビッグサイズだ。ルーフテラスに出て更に驚いた。宿泊するのは2人だけなのに、シェーズ・ロングからソファ、チェアまで、数えたら12人分の椅子が用意されてある。カンヌ映画祭の時などひょっとしてプライベートのパーティーを開いたりするセレブもいるのかなあと想像する。西はアンティーブ岬の背後に沈む太陽から、東は水平線の向こうに昇る太陽まで、素晴らしい眺め。インテリアは快適さを追求したデザインだ。このスイートのデザインで最も印象的だったのが、エントランスとリビングダイニングを結ぶ、長いフロアの途中にあるゲスト用ベッド。壁に掛けられた音符が飛び交うアートが示唆するように、ここは究極のリスニングスペースだった。iPhoneに入っているスターバト・マーテル(ホーフシュテッター指揮)を響かせてみた。仰向けになって音楽に集中する。一晩中でもこうして聴いていたいほどの心地よさだった。
(普通はホテルのインテリアは写真の方が実際よりも魅力的に見える場合が多いのだが、このスイートは天井が比較的低いこともあってか、どうも写真にうまく空間が収まらず、現物のインテリアの方が写真より魅力だったことを付記しておきたい。)
日の出の時刻にあわせて早起きして、まだ人影も疎らな海岸遊歩道をジョギングして、帰りに焼きたてのクロワッサンをパン屋で買ってお部屋でお茶を入れて朝食にした。お茶を飲みながらスイートをぐるりと見回すと冗談ではなく広かった。こんなアップグレードはもうないだろうと、チェックアウトの時間3分前までギリギリ居座ったのだった。
フランス
2015/08/03
ル・グラン・ホテル・カブール(フランス・カブール)
「ル・グラン・ホテル・カブール」ほど、1つのリゾートホテルが1人の作家と結びついている例は希有だろう。20世紀のフランス文学の最高傑作、マルセル・プルーストの長編小説「失われた時を求めて」の第2篇「花咲く乙女たちのかげに」に、ノルマンディーの海辺の架空の避暑地バルベックと、グランドホテルが登場する。その実存モデルとなったのが、このカブールにあるグランドホテルだ。世界中からプルースト文学を愛する人が泊まりにくるという。プルーストは1907年から1914年の第1次世界大戦勃発まで(戦中このホテルは、負傷兵看護施設に)、7年に渡り、毎年の夏をここで過ごし執筆した。その滞在期間を合計すると1年半ほどになる。ホテルは作家にとって、当時の社会変化の鏡と言える場所でもあった。現在は世界中の個性的な高級ホテルを集めたアコーホテルグループのコレクション「Mギャラリー」に名を連ねる。
カブールには、ノルマンディーのコート・フローリで最も長い4kmの砂浜が広がり、ホテル前の海岸沿い遊歩道は「マルセル・プルースト・プロムナード」と呼ばれる。毎年6月恒例の「ロマンチック映画祭」(Festival des romantischen Films)が開催されると、ここにレッドカーペットが敷かれることとなる。
自分の悲しい人生に比べれば、カブールで過ごす時間はまるで美しい夢のよう、とプルーストに言わせたリゾート地は、元来は19世紀半ばまで小さな漁村だった。(現在の夏の人口は6万人だが、冬は4000人ほど)それがパリの弁護士で先見の明ある実業家のアンリ・デュラン・モリンボーの構想で、古代ギリシャの野外劇場(テアトログレコ)に倣い、カジノとホテル(1861年創業)を中心に、放射状に通りが走る半円形の新リゾート地に開発された。今ならパリから2時間だが、当時は7時間かかる長旅だったから、ちょっと週末をというわけにはいかず、パリからの裕福な客は何週間かまとめてのバカンスを過ごすようになる。
1907年7月にプルーストは、フィガロ紙でノルマンディー海岸のグランドホテルが解体され、かつてないコンフォートを揃えて新築再オープンするという記事を読み、すぐに部屋を予約させ、8月にはカブールにやってきた。喘息に病む作家には、ガスや石炭でなく、電燈やセントラルヒーティング完備という技術進歩も魅力的だった。グランドホテルは、20世紀初頭のフランスで最もモダンなホスピタリティーを誇っていたのだった。最新の電話システムや水道システムが、プルーストには当時の変革する社会の複雑なネットワークの象徴のように思えたに違いない。
過去の名声だけに頼っていてはグランドホテルの未来もない。3年がかりの大修復・大改装を経て、2011年に新スタートを切る。アコー社が650万ユーロを投資し、不動産所有者のカブール市が160万ユーロをかけた。クラブメッドのデザイナーでもあるパリのマーク・ハートリッチと、ニコラ・アドネのデザインスタジオ(Hertrich & Adnet)が、ベル・エポックのパリ社交界の夏の舞台であったグランドホテルの雰囲気を残しながらも、イタリアのルネサンスの美意識と今の時代の新しいエレガンスを融合して、グランドホテルの輝きを取り戻した。家具、照明、絨毯、壁紙、テキスタイルは、歴史的装飾デザインをふまえた上で新しくデザインされ、フランスの伝統職人工房でオーダーメイドされた。「20世紀を生き抜いた古い建物を歴史に敬意を表しながら、私達の時代に再びエスタブリッシュさせなければなりませんでした。コンテンポラリーな要素とスタイリッシュなフィーチャーを繊細に歴史にブレンドして、エレガンス & ロマンスの観点で新しいビジョンを実現しました。」
ホテルに入ってレセプションに向かう前にまず目を引くのは、プルーストの時代からの美しい石の床の模様と、劇場の緞帳のようなゴージャスなカーテンの向こうのバー「ラ・ベル・エポック」だ。このバーでは「ホワイトスワン」というロングドリンクを試してみたい。期待通り「失われた時を求めて」にインスピレーションを得ており、プルーストが愛飲したヴーヴクリコのシャンパーニュのホワイトラベルと、サンジェルマン・エルダーフラワーのリキュールにレモンピールとライムジュースの爽やかなミックスだ。ホテルのロビーを抜けるとシーサイド。ノルマンディーの海岸の5つ星ホテルで、ダイレクトにプライベートビーチと繋がる唯一のホテルなのだ。バカンスのシーズンにはオープンエアの「ラ・プラージュ」レストランもオープンする。大きな窓のレストランをプルーストは電気の照明に明るく光るアクアリウムに喩えていたが、この「ル・バルベック」では、ガラスフロントからシービューを堪能しながら食事を楽しめる。フランス映画「ぼくの大切なともだち」もここで撮影された場面がある。夜型のプルーストは午後2時まで眠り、遅い朝食にレストランで舌平目とカフェオレを注文していたとか。
ホテルの客室は全70室、荘厳な外観の印象からすると少ないのではと思う。客室のある4フロアには、カブールに縁ある著名人の名前がつけられた。プルーストはもちろんのことだが、 パリの伝説的ミュージックホール「オランピア」のディレクターで、晩年1970年代にカブール市長に就任し、パリのアーティスト達を再びこのリゾート地に誘いブームをもたらしたブルーノ・コカトリや、女優のサンドリーヌ・ボネールの名が見えた。ジャン=バティスト・ピロン大佐とは誰かと思ったら、第2次世界大戦時にカブールを解放した英雄とのことで、その頃ドイツ軍がこの美しいグランドホテルと海辺を占領し、近所に娼館まで設けて楽しんでいたという史実に、ドイツからの客としては申し訳なくなってしまった。
「そう簡単に何度も来られないから、是非ともプルーストの部屋に泊まりたい」と思い、部屋が空いている日にカブールに着けるよう必死で旅程を調整した。他のリニューアルされた部屋の方が快適さもレベルアップで、デザイン的にもずっと魅力的だけど、熱烈なプルースト愛読者のヘニングさんには、インテリアもノスタルジックな414号室しかありえない。(ヘニングさんは20代の頃に喘息にかかってしまい、当時はハウスダストのアレルギーとは知らず、プルーストの読み過ぎかと疑いたくなったこともあったのだ。)この部屋だけ、時が真空パック保存されたよう。プルーストはホテルの4Fに3室の部屋をとっていたと言われ、自身はその真ん中の部屋に寝泊まりした。左右の部屋は隣室からの音が邪魔にならないよう、確実に静けさを確保するための防音エアクッション役だったわけだ。真鍮のベッドにアールヌーヴォー装飾の木の戸棚、書机にランプ、調度品はプルーストが滞在した時代のヴィンテージものだが、実際に使ったものではないので、憧れの作家が夢見たベッドに眠れるとか、その点は期待しすぎないように。でもこの部屋の窓からプルーストが波の数を数えていたのかと思うだけでも感動してしまう。ガブリエル・フォーレやレイナルド・アーンの楽譜を棚に発見し、フィリップ・ジャルスキーが歌うフォーレやアーンのフランス歌曲をiPodに入れてもってくればよかったと後悔してしまった。
フランス
2015/05/07
ホテル・エスプラナーデ・ザグレブ (クロアチア・ザグレブ)
オリエント急行なくしては、このグランドホテル「エスプラナーデ」もザグレブに誕生することはありえなかった。パリとイスタンブールを結び、ヨーロッパ大陸を横断していた長距離豪華列車が、ザグレブを経由していたことに感謝したくなる素敵なホテルだ。20世紀初め、ザグレブには「パレス」というアールヌーヴォー様式のデラックスホテルがあったが、シンプロン・オリエント急行がザグレブにも停車するようになると、ヨーロッパ各国からのオリエント急行利用客のニーズに、パレス・ホテルだけでは対応できなくなり、よりデラックスな最新のホテルが必要となったのだ。
列車の乗り降りにも便利な中央駅のすぐ西隣に、荘厳な姿のグランドホテルが建設された。駅を出てすぐ左手、噴水のあるアンテ・スタルチェヴィチャ広場の向こうに見える宮殿のような外観が、ガイドブックにもよく掲載されている表顔だが、ホテルへの玄関口は、ミハノヴィチェヴァ通り(ホテルのスタッフに発音してもらうとこう聞こえた)に面している。クロアチア国歌「私たちの美しい故国」を作詞した、19世紀の詩人アントゥン・ミハノヴィチの名を冠した通りだそうだ。ロビーから見ると、メインエントランスの上部にはノスタルジックな時計が7つ、ニューヨーク、ブエノスアイレス、ロンドン、ザグレブ、モスクワ、東京、シドニーの各々の時間を指す。中央のザグレブ時間を指す大時計は、まるで今でもオリエンタル急行の発車時刻を待つ気分にさせてくれるのだった。
クロアチアの建築家ディオニス・スンコ(Dionis Sunko)の設計で、建設に2年を費やし、1925年4月22日にアールデコの珠玉のインテリアに輝くホテルがオープンする。今のホテルのエレガントなバーの「1925」という名前にもその歴史が語られる。創業時の最初のゲストとして、ビジネスマンのグリュック氏の名が記録されている。グリュックは幸運という意味。グリュック氏がホテルにも幸運をもたらしてくれるようにと。エスプラナーデには最先端のモダンな設備が整い、200客室に100のバスルーム、電話も完備され、水栓からはいつの時間でもお湯が流れた。全てに洗練されたホテル、中欧で最もファッショナブルなホテルと評判になり、マダムと若きジゴロとの情事の舞台ともなり、映画になりそうな様々な恋愛ドラマのエピソードも残されている。
そんな華やかな時代に第二次世界大戦が終わりを告げ、悲しいことにドイツ軍ゲシュタポに陣取られた。ウェイターの中には、パルチザンのためにドイツ軍をスパイし、それがみつかって射殺された者もいたという。イタリアの作家 クルツィオ・マラパルテも戦時中に滞在し、執筆活動をしていた。戦後はまず貧しい人々のための給食場となり、復興後再びホテルとしてゲストを歓迎したのは1957年のこと。オーソン・ウェルズ、アニタ・エクベルク、アーサー・ミラー、エリザベス女王、マリア・カラス、U2、ブライアン・フェリーetc、、、とエスプラナーデのゲストブックに名を連ねる歴代の著名人は数えきれない。クロアチアが1991年に、ユーゴスラビアから独立宣言し紛争勃発となった時は、このホテルがプレス関係者のヘッドクオーターとなった。ヴコヴァルの戦いで、故郷のため命を失った兵士には、ホテルの従業員もいたという。ホテルの壮麗な階段を上り下りしていると、そういう歴史を大理石が静かに語ってくれるようだった。
21世紀に相応するグランドホテルとして新たな再スタートを切るために、2002年にホテルはいったん閉業となる。リニューアルプロジェクトは2年近くにも及んだ。オーストリアの設計事務所ATPアーキテクツ & エンジニアズと、ロンドンのMKVデザイン事務所(ギリシャ出身のマリア・ヴァフィアディスが主宰)のコラボレーションで、オリジナル建築の装飾ディテールも、1920年代に戻ったように美しく修復され、クラシック、アールデコ、モダンが調和するデザインが実現された。
「ジンファンデルズ」レストランの女流シェフのアーネ・ギルギッチや、バーテンダー / ミクソロジストのステチュカ・ショッホ(みんなに“ステチュカ”とだけ名前で呼ばれる)も、クロアチアでナンバーワンとの定評がある。夏には「オレアンダー(夾竹桃)」というテラス席も人気だ。でもなぜアメリカの赤ワインのジンファンデルがザグレブのレストランの名前に?と思ったら、ジンファンデルは元々クロアチアで栽培されていたツーリエンナーク・カーステラーンスキーという舌を噛みそうな名のぶどうからできるワインで、その苗木が19世紀にアメリカに渡ったのが、ジンファンデルの起源だったのだ。
予約したのは最もリーズナブルなスーペリアルームだったが、ザグレブに出かけたのが真冬のシーズンオフだったのが幸いしたのか、「とても眺めのいいお部屋にアップグレードさせて頂きましたよ」と、他の5つ星ホテルならスイートでも不思議ないラグジュアリーな部屋に案内された。部屋のデザインで最も印象に残ったのが、実はバスルームの床である。グリーン & ベージュの幾何学的なパターンの大理石、日本で言う鱗文様だ。歯磨きをしながら、足元の鱗文様を眺めていると、歌舞伎の『京鹿子娘道成寺』で、清姫が蛇体となったのを象徴する鱗文様の衣裳を思い出し懐かしくなり、夜中にザグレブで、娘道成寺をユーチューブで検索してしまったのだった。
クロアチア
2015/03/02
コンセルヴァトリウムホテル (オランダ・アムステルダム)
炎の画家フィンセント・ファン・ゴッホの没後125年を記念して、2015年は故郷オランダ各地で様々な企画が組まれている。世界最大のゴッホのコレクションを誇るアムステルダムのゴッホ美術館ももちろん例外でなく、秋には(2015年9月25日~)、ゴッホとエドヴァルド・ムンクの名作が一堂に会する貴重な特別展が開催される。このゴッホ美術館と、パウルス・ポッター通りを挟んですぐの筋向かいに位置するハイエンドなデザインホテル(5つ星)が、「コンセルヴァトリウム」だ。10年にも渡る改装工事を経て、更に魅力を増し、レンブラントの「夜警」必見のアムステルダム国立美術館や、いつも興味深いデザイン展で人気の市立現代美術館もすぐ向かい側、世界的なコンサートホールのコンセルトヘボウにも近い。昼も夜も文化三昧というアムステルダム観光には願ってもない、理想的なロケーションだけでも「コンセルヴァトリウム」を宿に選ぶには、十分な理由となりえるのだが、歴史的建築とピエロ・リッソーニのインテリアデザインがホテルに融合したとなれば、なおさらのことだ。
音楽院を表す「コンセルヴァトリウム」というホテルの名前から察しがつくかもしれないが、ホテルにトランスフォームされる前、この建物は1980年代からスウェーリンク音楽院の学舎であった。ファン・バールレ通りに面した正面から入ると、まずエントランスのヴァイオリンのインスタレーションに目を奪われる。シャンデリアのクリスタルの輝きに歓迎されるのではない。天井から吊り下がる何十体ものヴァイオリンのモビール、ナイジェル・ケネディが弾くバッハが響いてきそうだ。客室(全129室)が、かつては音楽家を目指す若き才能達が稽古するピアノ、ヴァイオリン、チェロ、フルート、各々が違う曲を奏でる色々な楽器の音に満ちていたんだなあ、と想像してみた。
それは美しく、見事に修復された煉瓦の建物は、19世紀末にオランダの建築家ダニエル・クヌッテルの設計で建設された。(ホテルへのトランスフォーム建築デザイン:MVSA Architects 建築修復:Van Stigt Architecten)本来は郵便貯蓄銀行だったので、タイルの装飾模様にも貯金や勤労を暗示するモチーフが残っていたりする。アート & 工芸ミュージアムに入ったかのようで、旧館の各階の廊下や階段室を散策して、ステンドグラスやタイル画、様々な造形のディテール、絵画のような窓枠の中の街風景を見学しているだけでも、あっという間に時間が経つ。自由に腰を下ろせる、ちょっとしたラウンジ的コーナーが所々に用意されているのも嬉しい。
過去には中庭だったアウトドアスペースが、ガラス張りの新しい巨大なウィンターガーデンのインドアスペースになり、レセプション、ロビーラウンジ、ブラッスリーが配された。「私はいつも中間にいる生き方がいい」と言うリッソーニに似合う、外と内の中間の空間だ。ホテルを初めて訪れるゲストは、このカテドラルの雰囲気さえ漂い、光に満ちるアトリウム空間に、心地よく驚かされることとなる。エレベーターやミーティングルームを内蔵するトラバーチンとガラスのボックス、黒いスチールのオープンな階段がドラマチック性を増す。ホテルの建築デザインは、新旧のコントラストが激しい。しかし、それが逆に新旧双方の美しさをより強調している。ホテルのインテリアはポリフォニックに響くデザインだ。
バーも音楽に絡んで「チューンズ」と呼ばれる。ゲストがテーブル席についていると失礼になるので、バーがまだ閉店中にギャラリーの席をゆっくり歩いてみたい。というのも壁にかかるミュージシャンの写真がどれも素敵で、足が止まってしまうのだ。スヒロ・ファン・クーフォルデングがシェフのグルメレストランも、私が滞在した時はバーと同じ名前だったのが、半年前に名前も「タイコ」と変わり、コンセプトもアジアンキィジーヌに変わってしてしまったので、空間構造は同じでも、ワインボトルでなく酒瓶がズラリと並んだり、インテリアもアジアンに変化した。食事中には太鼓の演奏も入るとか。
「コンセルヴァトリウム」は、デイヴィット・チッパーフィールドが手がけたロンドンのホテル「カフェ・ロイヤル」同様に、「ザ・セット(The Set)」というまだ若いホテルコレクションに属する。同じビジョンを持ちながらも、各々のホテルが街とその建築の歴史背景にコネクトし、コンテンポラリーなデザインで、各々独自のアイデンティティーを持つラグジュアリーホテルをクリエイトしていくとのこと。昨年インテリアが競売にかけられて話題になったが、パリのアールデコの老舗ホテル「ルテシア」のリニューアル(ジャン・ミッシェル・ヴィルモットが担当)が現在進行中で、2年後に予定される再オープンが待ち遠しい。
オランダ
2014/11/04
シャングリ・ラ ホテル ザ・シャード ロンドン (イギリス・ロンドン)
本当に感動してしまう眺望だ。ロンドン初の高層ホテル「シャングリ・ラ ホテル ザ・シャード ロンドン」は、パブリックスペースやゲストルームから、今までロンドンのどのホテルでも経験することは不可能だった未知のロンドンの絶景を堪能させてくれる。観光に出かけなくても、ホテル内の様々なアングルからロンドンを眺めているだけで大満足な一日を過ごせそうだ。ロンドンに住んでいる人の宿泊希望も少なくないというのにも頷ける。自分の街をシャングリ・ラから新しい視点で再発見できるのだから。
このホテルは香港を拠点にラグジュアリーホテルを世界に展開する「シャングリ・ラ ホテルズ & リゾーツ」が、110ミリオンユーロを投入した意欲的事業だ。レンゾ・ピアノの設計で310メートルの高さを誇り、西ヨーロッパで一番高いビル「ザ・シャード(破片)」に今年の5月6日にオープンした。ロンドンブリッジ駅に直結し、テムズ川南岸のほとりに位置する地上87階建て(実際72階の展望台まで使用可)で、総ガラスファサードの教会の尖塔のようなビルだ。ホテルは、34~52階の18フロアを占める。セント・トーマス・ストリートに面するホテル専用のエントランスから、アジアンテイストとヨーロッパモダンが融合した独自のエレガンスを醸し出すラウンジを抜けて、35階「スカイロビー」まで直行する高速エレベーター(28秒で125m上昇)に乗る。
ロンドンの21世紀の新しいランドマークたる建築から、テムズ川のうねりに添ってタワーブリッジ、ロンドンタワー、シティホール、テートモダン、ミレニアムブリッジ、セントポール大聖堂、更にはビッグベンと、ロンドンの象徴的な景観とディテールも明瞭に眼前に広がる。しかしなんといっても忘れられないのはタワーブリッジを見下ろす眺めだった。小雨に降られてちょっと残念と思っていると、雨上がりにタワーブリッジの上空に薄らと大きく虹がかかっているではないか。そうするうちに日が沈んでいくと、遠くの高層ビルに灼熱の光が反射している。夜にはライトアップされたタワーブリッジの中央部分が跳開し、大型船が通っていくシーンも。よく100万ドルの夜景というがこれはロンドンだから“100万ポンドの夜景”になるのだろうか。
とにかくファサードの向こうの光景が印象的すぎて、ホテルのインテリアやアートに着目する余裕がなく、担当デザイナーには申し訳ない気がしないでもない。アジアンとブリティッシュ、コンテンポラリーアートと伝統美術工芸が拮抗することなく静かに対話し、堅苦しさとか気取りのないとても心地よい5スターのホスピタリティー空間に仕上がっている。
「人生を謳歌しデザインも謳歌する」ことをモットーに、香港を拠点に幅広く活躍し、アジアデザイン界に君臨するライフスタイル・デザイナー、スティーブ・ラング(Steve Leung)が34階のイベントフロア、35階のラウンジ & レストラン「ティング」(中国語でリビングルームの意)、客室フロアを手掛けた。ホテル最上の52階、ロンドンで最も高い場所にあるバー「ゴング」 & インフィニティ・プール「スカイプール」のデザインには香港出身ケンブリッジ大建築学部卒、有望な若手として注目されるアンドレ・フー(Andre Fu)が起用された。デザインは木製の升を組み合わせ、多くの木造建築に使われてきた「斗栱(ドウゴン)」からインスピレーションされたという。夜はプールもバーのインテリアになる。
レストランの白いテーブルクロスからこんなエピソードが思い出された。それは2000年のベルリンでのこと、ポツダム広場のレストランでディベロッパーとの食事の最中に、レンゾ・ピアノにアイデアが閃めいた。建築家はリネンのテーブルクロスにスケッチし始める。それがザ・シャードのデザイン誕生の瞬間だったのだ。
全202の客室は36階から50階に位置。少し料金が違ってくるが、その代わりに食事をホテル筋向かいのマクドナルドのハンバーガーにしてでも、テムズ川が見えるロンドンシティビューの部屋に限る。建築が建築なので各々の客室が独特なレイアウトでデザインされた。私達の部屋のインテリアに限っては、ベッドからTVが見えるようにとのことだろうが、TV用ファニチャーがタワーブリッジの見えるベストビューの左側ウィンドーの前にどーんと配され、せっかくロンドンに来てまでTVを見る必要のない者には残念であった。まあでも右側ウィンドーからでも十分に眺められる。そこで右側ウィンドー前のこれも不要な什器のヴァレットスタンドをよいしょと動かして、コーナーのソファのクッションを外してウィンドー前の床にタワーブリッジ鑑賞お座敷を即興アレンジし、タワーブリッジに向けスパークリングワインで乾杯した。
バスルームにTOTOのウォシュレットがあるのをヨーロッパのホテルで発見したのは初めてで、日本で使ってからもう8年振りと大喜びすることとなった。木綿のさらりと肌触りのいい浴衣が用意されていて、これもヨーロッパでは初めて出会ったサービス。早速プールへ、ヘニングさんとお揃いで浴衣を着て行った。エレベーターで一緒になった他のゲストに「クール!」と褒められて赤くなってしまった。生まれて初めて浴衣をパジャマにして眠ったヘニングさんは、なぜかゾウの大群がテムズ川を楽しそうに泳いでいる夢を見たそうだ。
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