HOTEL GUIDE ホテルガイド

文化ジャーナリスト小町英恵 (早大独文卒) とハノーファーの新聞社で文化部長を務めるヘニング・クヴェレン (ハンブルク大卒、政治学修士) 。夫妻で続ける音楽とアートへの旅の途上で体験した個性派ホテルをご紹介いたします。

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54件

2008/12/19

グランド・ハイアット・ベルリン(ドイツ・ベルリン)

赤いポインセチアの生花で造形したクリスマスツリーに孔雀が戯れる。壁にかかる青いフレームとのコントラストも鮮やかだ。泊まったのは去年の大晦日だったのだが、グランドハイアットベルリンのロビーに飾られたこのクリスマスツリーがハイセンスで、せっかくだからクリスマスの時期になったらお見せしようと1年間写真をキープしておいた。壁の青いフレームはドイツのアーティスト、ゲロルド・ミラーの作品、絵画と彫刻の境界線にある定義しがたいオブジェクトだ。グランドハイアットベルリンのロビーや会議・宴会用フロアではダイムラー・アートコレクションから厳選されたコンテンポラリーアートが空間と対話し理性的な空間に彩りある緊張感を与えゲストの感情を刺激する。

ホテルは赤みを帯びた砂岩のファサードで8階建ての建物、3年の工期を経て1998年10月にグランドハイアットのヨーロッパ進出第1号としてオープンし、今年10周年を迎えた。プリツカー賞に輝く建築家ラファエル・モネオの設計で、インテリアはハンネス・ヴェットシュタインがデザイン、スペインを代表する建築家とスイスを代表するデザイナーとの異色のコラボレーションが実ったホテルだ。このホテルを利用するのは初めてではないのだがレセプションに向かう途中でまたしても思わず立ち止まってしばしモネオが仕掛けたガラスの採光構造を眺めてしまった。ドイツ・ロマン主義の画家カスパー・ダーヴィット・フリードリヒの「氷の海」に描かれた氷が天井を突き抜け建築に突き刺さったかに鋭い。そしてオパールの宝石の柔らかい光をロビーに導いてくれる。

このグランドハイアットはベルリン国際映画祭のメイン会場があるマレーネ・ディートリッヒ広場に面し、映画祭の期間中はプレスセンターが設けられ、NYの建築家トニー・チーが改装した会議・宴会場でスターの記者会見も行われる。ベルリン・フィルハーモニーも目と鼻の先、TVでも生中継される大晦日恒例のジルベスター・コンサートに出かけるにはベスト・ロケーションだ。ベルリンのカルチャーライフに欠かせないだけでなく、スポーツ界でも人気のホテルだ。ディレクターのヒュルスト氏によると「2006年のW杯でスタッフ全員が熱烈なサッカーファンになってしまった」そうで、地元サッカーチーム「ヘルタBSC」ともパートナー契約を結んでいる。

ホテル屋上の「クラブ・オリュンポス・スパ&フィットネス」のプールは10年前も今もベルリン一の眺めのいいプールだ。ここでプカプカしながら新年を迎えるのもいいかと思ったのだが、残念ながら通常通り22時でクローズ、例外は許されなかった。屋上からベルリンの街中で打ち上げられるニューイヤーの花火を堪能するにはホテルのレストラン「ヴォックス」で大晦日の特別プログラムを予約しないといけないということ。朝食は「ヴォックス」だけでなくロビーの暖炉のあるラウンジに続く「ティツィアン」や2階の「ライブラリー」の3箇所から好きな場所を選べる。「ヴォックス」のバーはドイツの有力グルメ雑誌『ファインシュメッカー』から今年のベスト・バーに選ばれている。ジャズ、ブルースの世界的ミュージシャンの写真を背景に夜はライブ演奏で雰囲気も格別。バーに揃っているウィスキーのリストが240銘柄と一体どれを試そうか真剣に悩んでしまった。

ハンネス・ヴェットシュタインの客室(全342室)のデザインはさり気なく上質感をアピールする。フロアとバスルーム間、ベッドルームとバスルーム間の二つの扉を開けると全スペースがオープンに繋がる。壁にはベルリンのバウハウス資料館蔵のバウハウス・アーティストのアヴァンギャルドな写真が7点、ベルリンの黄金の1920年代のスピリットが伝わってくる。バスルームはグレーの大理石と桜材をコンビネーション。曇りガラスの引き戸の奥がトイレだ。ユニークなのは透明ガラスの引き戸を開けて入るバスタブ&シャワーのコーナー、まるで日本のお風呂場のようにバスタブ前の床面をビチョビチョにできるホテルのバスルームは珍しい。洗面コーナーにまでTVが付いていてこれだけは視覚的にちょっと邪魔ではないだろうか。

ヴェットシュタインはスイスデザインの伝統を受け継ぐデザイナー、そのデザインはマテリアルにフォルムを与えるというよりはマテリアルにヴァリューを与えるプロセスと言えるだろう。数ヵ月前に癌との闘いに敗れ50歳で惜しまれて亡くなったが、グランドハイアットにも彼ならではの精密で慎み深いデザインがあふれている。私がヴェットシュタインを初めて取材したのはデザイナーの希望でチューリヒからベルンへのスイスの汽車の中でだった。ヴェットシュタインは天国でもデザイナーという終着駅のない汽車の旅を続けているのかもしれない。

ドイツ

2008/11/20

ホテル・パリ・ルーブル・オペラ(フランス・パリ)

芸術の都パリに縁ある芸術家は数知れない。19世紀末から第一次世界大戦で貴族社会が崩壊するまで、パリがかつてない華やぎを求めたベル・エポック(美しき時代)を駆け抜けた短命の画家、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック (1864 ~1901) もその一人だ。ホテル・パリ・ルーヴル・オペラのあるムーラン通りにはロートレックが一時住み込んで制作していた娼館があった。運命に遊ばれた娼婦達の素顔を描いた名作が生まれた。ホテルになった17世紀のバロック時代の建物はオペラとルーヴル美術館の中間に位置し18ヶ月もの時間を費やして再建、改装された。パリのど真ん中にいて隠れ家的なのも魅力だ。この小さなブティックホテル(2005年にオープン)の小さな部屋の窓を開け古い鉄の装飾的な手摺に触ると、ロートレックの生きたベル・エポックの空気が感じられた。甘酸っぱくデカダンの香りがする空気だ。

ホテルのオーナーのオリヴィエさん自身がデザインしたというだけあってインテリアの隅々にも建物への愛情が注がれている。プライベートなサロンの雰囲気のラウンジでは今年日本で初展示されたロートレックの「黒いボアの女」 (1892年) の複製がゲストを迎える。レセプション、ロビー、ブレックファースト・コーナー、階段室といったパブリックスペースは木の葉をモチーフにしたメタルワークのファニチャーが職人の手のぬくもりまで想像させインテリアに深みを出している。鏡のデザイン一つにも隣国なのにドイツではありえないフランスのエレガンスが形になっている。すみれ色とモスグリーンというカラーコンビネーションも独特だ。

部屋はシックにブラウン、べージュ、ワインレッドにトータルカラーコーディネートされ、私が泊まった頃は、ベッドは毛布にベッドカバーのスタイルだったが、今はフカフカの掛け布団にリニューアルされているとのこと。足を自由に動かせるように寝る前に毛布をマットレスからえいっと解放する必要がなくなったわけだ。白い布団カバーは小さい部屋を明るく広く感じさせる効果もあるに違いない。ホテルは全20室だがそのうちの17室がバスタブ付きのバスルームなのもパリの街を歩き過ぎて疲れた足を癒すのに嬉しい。ナチュラルなベージュ色にまとめられ、限られたスペースを最大限に活かして構成された。

バスチーユ/マレ地区ならパリの私のお気に入りホテルはプチホテル「カロン・ド・ボーマルシェ」である。モーツァルトの「フィガロの結婚」の原作者で18世紀の著名な劇作家ボーマルシェに捧げたインテリアで18世紀と現代が繋がる。初めて泊まったのはもう10年以上前のことだが、偶然通りを散歩していて出会ったホテル。可愛いアンティーク家具のお店だと思ってショーウィンドーを覗くとなんとホテルのロビーだった。メトロポールのパリだけれど、パリの街を闊歩するには有名な豪華ホテルよりもパリ・ルーヴル・オペラやカロン・ド・ボーマルシェのようにさりげなく個性あるプチホテルの方がずっと似合っているように思えるのだった。

フランス

2008/10/01

ホテル・ラートハウス・ワイン&デザイン(オーストリア・ウィーン)

オーストリアワインとデザインのマリア-ジュ。ウィーンの「ラートハウス・ヴァイン&デザイン」はこんな美味なコンセプトのホテルだ。ダブル39室は各々がオーストリアのトップワイナリーに捧げられ、ミニバーにもワイナリー御自慢のワインボトルが並ぶ。ホテルのディレクターもワインアカデミー卒の専門家。ワインラウンジでは“今月のワイナリー”の全プロダクトが揃う。ワイナリーとのコラボレーションが成功したのも、ホテルのオーナーのフライシュハーカー夫妻が自身のグルメレストラン「プェッファーシフ(胡椒船)」で長年に渡り全国の醸造家と親交を深めることができたからだろう。レストランはザルツブルク近郊ゼルハイムの古い牧師館にあり、御主人のクラウスはミシュラン1ツ星のシェフ、ぺトラ夫人がソムリエというゴールデンコンビ。フライシュハーカー家は更にザルツブルクにロマンチックなプチホテル「ローゼンヴィラ(薔薇荘)」を手掛け、ここがホテル・プロジェクト第2弾となる。(オープニング:2004年4月30日)

市庁舎を意味する「ラートハウス」という名前の通りウィーン市庁舎に近い。ホテルに改造されたのは泡沫会社乱立時代に典型的だった1890年の住宅建築で、シェーンブルン宮殿と同じ黄色のファサードを持つ。ザルツブルクのインテリアデザイナー、マンフレード・カッツリンガーが主宰する設計事務所「m+m project」にリニューアル全てが任された。エントランスの古いタイルの床、手の込んだスタッコ装飾、オリジナルの建築エレメントが修復され再び輝きを得、ハイクオリティーの素材で創られたモダンなインテリア・エレメントと美しく対話している。

昔は馬車も入った1階の長いエントランスフロアを抜け、階段を上り大理石の柱の門の向こうにレセプションが現われた。そのトルコ産大理石のカウンターも柱も内側から柔らかな光を放ちマーブル模様を浮き上がらせるライティング・オブジェクトでもある。こちらから事前にリクエストしたわけではないのだが、チェックインで“今月のワイナリー”のヤメク醸造所(wwwweingut-jamek.at)の部屋をもらえたとわかって感謝感激してしまった。そしてワインラウンジ(朝はブレックファーストルーム)の中庭を見下ろす窓際の席でヤメクの“スマラクト”のリースリングを味わった。スマラクトとは宝石のエメラルドだが、ドナウ渓谷の急勾配なテラス状の葡萄畑にブルーの頭にエメラルドの緑色のボディをした“エメラルドとかげ”が生息していることから、ヴァッハウ地方の最高のワインに与えられる名称だ。ワインラウンジではシャンデリアやルイ14世風の椅子が帝国時代のウィーンをほのめかし、ウォルナットの木とクリーム色のレザーを組み合わせたオリジナルデザインの家具とバランスよく協和する。スタイリッシュでありながら冷たさのない人肌の温かさのインテリアだ。

ここでどうしても忘れてはいけないのが朝食ビュッフェのこと。内容があまりにバラエティに富んでいるので一体どれから始めればいいのかしばし呆然と立ち立ちすくんでしまった。ウィーンのホテルの朝食コンテストがあれば1等間違いないだろう。

部屋に荷物を置いたら一度練鉄製のデコラティブな古いエレベーター(オーチス社)で最上階まで上って、階段で1階ずつ下りて各階の部屋の扉のワイナリーのラベル見学ツアーをしてみても楽しい。番号で区別するだけのホテルの部屋のドアに個性が加わる。ヤメクの部屋は建物の光庭に面し、隣家との間の殺風景な防火壁を眺める形なのだが、これに対応したデザイナーのアイデアが驚くほど効果的。巨大なワインボトルやグラスを描いた壁画の青空ギャラリーに変貌させたのだった。ベッドの天蓋全体が照明オブジェクトなのもユニークだった。ドントディスターブのサインがワインボトルのシルエットだったり、ワイン畑の写真が壁に掛かっていたり、アメニティのボディ&ヘア・シャンプーが半透明なボトルの中にまるで赤ワインを入れたかだったり、部屋のディティールにもワインのテーマが色々な形で組み込まれている。ホテル全体で私の絶対的なお気に入りデザインはトイレの中にある。赤ワインのボトルを形取ったトイレットペーパーのシール。可愛すぎてシールを剥がすのがもったいなくて、予備に置かれたもう一つのトイレットペーパーのロールを使うことになったのだった。

オーストリア

2008/08/20

エンパイア・リヴァーサイド・ホテル(ドイツ・ハンブルク)

ここザンクトパウリはハンブルクの波止場に近い歓楽街。私がハンブルクに住んでいた1980年代は今回紹介するエンパイア・リヴァーサイド・ホテルのようにハイエンドな社交の場が将来できるとは想像にも及ばない落ちぶれた雰囲気で、脂ぎった肌の船乗りが一夜だけの快楽に耽るといった頽廃的な小説の舞台にぴったりの街だった。

ホテルは元バヴァリア・ザンクトパウリ・ビール工場敷地の一画に新築された。100年以上も美味いビールが醸造されていたが、数年前に工場は閉鎖されその広大な跡地が今年の末までの完成を目指し“ハーフェンクローネ(港の王冠)”という新しい街区に再開発されている。ホテルからはビートルズが1960年代初頭にキャリアをスタートさせたカイザーケラーや伝説のスタークラブがあった場所もすぐで、ビートルマニアのハンブルク旅行にはうってつけである。

エンパイア・リヴァーサイド・ホテルはエクステリアもインテリアもデヴィット・チッパーフィールド・アーキテクツの設計で、去る6月27日に国際的に権威ある建築賞“RIBA(王立英国建築家協会)ヨーロピアン・アワード”を獲得した。ブロンズ(120トン)とガラス(6300m²)のファサードは垂直のラインを強調したストラクチャーが特徴だ。ファサードのマテリアルがメタルでなければならないというのは最初から確かだったが、何のメタルを使うか決断するには長い時間がかかったそうだ。周辺の古い建築物のマテリアルや街の景観にマッチする素材感と色彩のメタル、歳を重ねることでより深みの出てくるメタルを求めブロンズに辿り着いた。日が落ちてくるとエルベ河の対岸の彼方に沈む光を受けてブロンズが炎の輝きを見せる。ロケーションがホテルに与えてくれた贅沢、それは北海に向けて流れるエルベ河とハンブルク港のスペクタクルな眺め、この眺めをゲストにも満喫してもらうデザインがコンセプトの基本にあった。このプロジェクトのデザインディレクターを務めたクリストフ・フェルガーは言う。「難点のあるロケーションの場合、ホテルはインテリアをスペクタクルにしないと魅力ないが、ここでは外の景色を最大限に演出するために控えたデザインが要求された」。

ホテルのロビー、ラウンジ、バー、レストラン、コンファレンスルーム、ボールルームといったパブリックにオープンなスペースは4レベル吹き抜けのエントランスホールを囲みオープンな構造で、各スペースが視覚的に繋がれとてもオリエンテーションし易い。おとなしい空間になり過ぎるのをブレイクする要素が色で、強烈な紫色のカーペットがテラゾ(bitu Terazzo)の床に映える。ラウンジバーの「David's」はてっきり建築家の名前をつけたものと早合点していたのだが、本当はザンクトパウリの目貫き通りであるレーパ-バーンとホテルを結ぶダーヴィット通りに由縁していた。ラウンジではタイ出身の通称トゥクさんがクリエートする“ニュースタイル寿司”が人気。私の隣の席でも奥様風の4人組がアフタヌーンティーならぬアフタヌーン寿司にワイングラスを傾けていた。

究極のハンブルク夜景はホテルの最上階(20F)に位置するスカイバー「20up」が提供してくれる。このペントハウス・スイートを配さずビール1杯で誰でも利用できるバーにしてくれて有難い。あっという間にハンブルクっ子のハートを奪ってしまったそう。実はホテルに泊まったのはドイツ歌謡界の大御所ウド・ユルゲンス(ペドロ&カプリシャスの昭和時代のヒット曲、『別れの朝』原曲の作者)の音楽を盛り込んだ新作ミュージカルがホテルから歩いていける劇場でプレビューだったから。それが去年の12月1日で、ホテルは11月1日にオープンしていたが、いさんでエレベーターの20階を押して出たらなんとバーはまだ足の踏み場もない状態で工事の真最中で入ることも写真を撮ることも無理だった。(ということでスカイバーの写真はございません!)

さて客室へは真っ白い壁と天井に真っ赤な床という紅白のお目出度い廊下を歩く。カンヌ映画祭のレッドカーペットみたいだが、私には緋毛氈に見えてそうしたらなぜか茶巾寿司の味が懐かしく思い出された。全328室の85%の部屋からエルベ河と港の景色が楽しめる。客室には4カテゴリーあるがスタンダードのリヴァーサイドルーム(234室)の広さは25m²とコンパクトだが無駄がなく、スモーク風合いのオーク材の家具で色を押さえてニュートラルに仕上げ、シンプル&クリアーな飽きのこないデザイン。リゾートホテルと違い1泊か2泊だけの利用客がほとんどのホテルでは、どこに何がありどう機能するかが一目瞭然でわかるかどうかが部屋の居心地を大きく左右する。「エッセンシャルに立ち戻って、ハイテクでなくどちらかというとローテクで、デザインしてないのではと印象を与えるほどにデザインを見せない。」(クリストフ・フェルガー)

ホワイトとグレーのモザイクに統一されたバスルームではやはり開閉にスペースを必要とするトイレやシャワーの扉が不要なデザインで広々と感じられる。ただシャワーを浴びるとどんなに気をつけてもどうしてかシャワーエリアもフットマットも越えてかなりの床面にお湯が飛び散ってビチョビチョになってしまいバスタオルで床掃除しないといけなくなったのは大変だったが、、。

インテリアのオーダーメードのテキスタイル素材(Kvadrat社)も興味深い。白いカーテンは見た目にはごく薄手だが裏側が特殊なコーティングで遮光効果が100%だ。客室で一般的な椅子だと座ったり立ったりと椅子を動かす床面の余裕が必要になる。空間節約の目的も兼ねて2人で座れるベンチというアイデアが浮かんだ。昔からの農家の台所の食卓の構造にも似て落ち着く。ダークグレーのマイクロファイバーを張ってありバスルームとの境の壁が背もたれになる。港の風景がパノラマウィンドーの額縁の中で刻々と移り変わり、視線は日没のドラマに釘付けになっていた。

ドイツ

2008/07/10

メーヴェンピック・ホテル・ハンブルク(ドイツ・ハンブルク)

ドイツの街では思いもかけない場所に煉瓦造りの古い給水塔を発見することがある。多くは再利用されぬままに建築モニュメントとして残されその扉は閉ざされたままだ。このハンブルクのシュテルンシャンツェ公園にそびえる給水塔(高さ:57メートル)は水の代わりに旅客が眠る「メーヴェンピック・ホテル」(4ツ星)として生まれ変わった。歴史を語るインダストリー建築とコンテンポラリー・デザインがドラマチックに調和する。2007年6月に2年の工期を経てオープン。アンドレ・プットマンのインテリアになるケルンの「ホテル・イム・ヴァッサートゥルム」に続いてドイツで2番目の給水塔デザインホテルである。

今のホテルがある場所には17世紀の三十年戦争の頃からハンブルクを守るべく丘の上に星形の堡塁(=シュテルンシャンツェ)があったが、その堡塁は19世紀始めに壊され後に公園が建設される。地域の給水用に公園の丘に煉瓦の貯水タンクが建設される。都市の急成長に伴い充分な給水を確保するためハンブルクは1907年から1910年にかけて古い貯水タンクを土台にしてヴィルヘルム・シュヴァルツの設計で新しい給水塔を建設する。中には上下に二つの巨大な水槽があった。外の階段を181段昇れば展望台でもあった。ハンブルクのパノラマを実際に当時どれだけの人が楽しめたかはわからないが、、。1956年まで給水塔として使われていたが1961年にお役目を終える。売却され水族館とかシネマとか様々な再利用案が出るがうまくいかず、給水塔の過去と未来を繋ぐホテルへの改造が決まるまで40年以上も経過していた。

給水塔は文化財保護法下にあり公共の文化遺産であるから、建物のオーナーであっても好き勝手に改築することはできない。ミュンヘンのファルク・フォン・テッテンボルン建築事務所と市の文化財保護課との気が遠くなるような交渉もあった。建築ディティールが修復され、ファサードもきれいになり、オリジナルの窓のプロポーションもそのままに客室の窓となった。塔中の古いポンプ装置をデモンタージュ、直径25メートルの水槽は解体した屋根からクレーンで外へ運び、1.5メートルもの厚いコンクリート壁を切り取った部分はそのブロックを塔内で爆破しなければ運び出すことは不可能だった。塔の中軸に建設したエレベーター・シャフトがファサードを支え、これがなければ塔の煉瓦が崩れる日を待つのは確実だったそうである。

ホテルのロビーへのアプローチが凝って演出されている。ホテルの周囲も今まで通りに緑の公園として誰でも入れるように塔内へは丘の下のシュテルンシャンツェの通りから地下エスカレーターに乗る。ウルリケ・ベーマーが仕掛けた神秘的な光と深い水の中で耳を澄ませていると聞こえてきそうな音とのアート・インスタレーション。タイムトンネルのように長いエスカレーター(25メートル)での移動は束の間のあいだ自分が給水塔の中の水を追体験するかのようである。

レセプション、ロビー、ラウンジ、ビジネスセンター、バー「洞窟」、ウェルネスセンターといったパブリックスペースは塔の土台となった19世紀の貯水建築の地下2レベルに広がり、オリジナルの煉瓦のヴォールト天井が修道院の神聖ささえ感じさせる。ホテルのインテリアはロイトリンゲンのコルネリア・マークス=ディーデンホーフェンが繊細な感覚で仕上げた。ガラスのモダンな増築に会議施設やオープンキッチンでカジュアルなレストランが配された。 公園側へのテラス席は、夏は菩提樹の木陰で涼みながらスイス料理を楽しめる。パブリックトイレを覗き見すると、女性用は真っ赤なガラスプレートがボックスのドアとパーティションに使われ、男性用はブラックというヘニングさんからの情報で、スタンダールの「赤と黒」を突然読み返したくなった。

塔が8角柱なので、1Fから14Fまでのスタンダードの部屋は各フロアに16室ずつ、エレベーターシャフトを囲みショートケーキのような部屋がぐるりと並ぶ。3角形の空間が顕著になるのがバスルーム。洗面ボウル(洗面器)の下部構造の扉を開けるとゴミ入れ袋が隠れていて、床にゴミ入れ容器が置いてないだけでもどれだけバスルーム全体がすっきりするかが証明された。部屋はブラウン&ベージュのナチュラルトーンで、アイキャッチャーは自分達の部屋がどこに位置するのかも矢印でわかるが、壁に大きくプリントしてある建築の断面図だ。尖り帽子の屋根の下にジュニアスイート8室、タワースイート2室。予約が入っていたので見学はならなかったが屋根裏の17階のスイートではスタルクのバスタブからハンブルクの夜景を一望できるそう。

ホテルで一番印象に残ったのは何の特別な機能もない部屋へのエレベーターを待つ空間だった。エレベーターのスイッチを押して扉が開くのをひたすら無言で待っているだけのコーナーではない。ロビーの廊下から細い通路を右に曲がる。そのトンネルの床は薄緑に光るガラスでその下に今でも水が貯められ、その水の上の渡り橋を渡るようでもある。通路を抜けるとかつて水槽を支えていた段々構造があたかも発掘された古代の円形劇場のようだ。客席へと誘うように白いクッションが置かれている。どこからか水槽の中にいるかに静かに揺れる水音が響いてくる。気持ちいいなあ、、とエレベーターのスイッチを押すのを忘れてしばし目を閉じるのだった。

ドイツ

2008/06/09

ローグナー・バート・ブルマウ(オーストリア・ウィーン)

「楽園は探してみつかるものではない。自分の創造力を駆使し自分の手で築くもの、、、」オーストリアの芸術家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー (1928年-2000年)は人間と自然が調和するパラダイスを創造するために闘い続けた。オーストリアはシュタイヤーマルク地方の小さな温泉郷、人口も1500人というブルマウ村でフンデルトヴァッサーが長年夢見た「丘陵草原の国」がスパリゾートホテルの形で現実になっている。ウィーンからなら南へ130km、グラーツからなら北へ60km、スロヴェニアの国境にほど近い。アウトバーンを降りてガタガタと田舎道をひとしきり走ると、かぼちゃ畑の向こうに数えきれない色と形に構成される不思議のホテル建築が見えてくる。まさにメルヒェンの世界に迷い込んだかに。

このホテル「ローグナー・バート・ブルマウ」は1997年にオープニングした。フンデルトヴァッサーが「このパラダイスはオーストリア国への贈り物」と祝辞を述べたプロジェクトだ。ブルマウを訪れるのは初めてではない。10年前に比べて客室棟も温泉施設も増え、見学だけの団体観光バスの到着も増えた点は変わっていたが、フンデルトヴァッサー建築は10年前と変わらない魅力で迎えてくれた。

フンデルトヴァッサーは自分のことを建築家ではなく「病んだ建築を癒す医者」と定義していた。ホテルはその外観を目にする瞬間から都会人を癒してくれる。オーストリアのベスト・スパ施設にも選ばれているが、心身共に完全に日常生活から解放され知らぬ間にストレスが消えメタボリックシンドロームもおさらばという気持ちになってくる。バート・ブルマウの温泉水は2種類あり、メルヒオル温泉は47.2℃で970mの地下から出る。ヴルカニア温泉は2843mの深さから110℃で地上に出る。100万年以上も前にできた火山地帯の内海の水を採掘作業で幸運にも発見した。それは絹の衣に包まれるかの肌触りの水だ。温泉はまたホテル用の発電、暖房に応用されエコなエネルギー源でもある。

ローグナー・バート・ブルマウは中心に温泉浴場、そこから宿泊施設、飲食施設、ヘルスケアセンター等様々な機能のデザインを異にする建物がランドスケープに広がる。玉葱屋根のシュタムハウス(本館)でチェックイン。客室はこんなユニークな建物に配分されている。ブルマウ村の古い農家の煉瓦を再利用したツィーゲルハウス(煉瓦の家)、ウィーンの観光名所でもあるクンストハウスに似ているクンストハウス(芸術の家)、ファサードに天然石を使ったシュタインハウス(石の家)、地下にありながら中庭から自然光がたっぷり入るワルトホーフハウス(森の中庭を持つ家)、目の形をしたアパートのアウゲンシュリッツ(切れ長目)。屋根は緑化されその上からはパノラマ風景を楽しめる。

職人の個性を建築に浸透させる施工法もフンデルトヴァッサー建築の特徴である。現場での職人の仕事への喜びが完成した建築に魂を宿らせると考える。カラフルなセラミックのファサードや柱はもとより客室のバスルームの壁や床でも顕著なように、ディティールの仕上げは職人のクリエイティビティが限界まで引き出される。独特の表面光沢を持つセラミックはドイツのバート・エムスにあるエービンガー家の建築用セラミック専門工場でハンドメードされている。2700ものカラーバリエーションが可能だそうだ。

角のないソフトなフォルム、曲線だらけの足もとも多少不安定な環境は人間が心のバランスを取り戻すのを促してくれるかのようだった。フンデルトヴァッサーにはウィーンのクンストハウスでお会いしたことがあるが、話し振りも建築のように柔らかかった。氏は晩年のほとんどをニュージーランドで過ごされたが、一度雑誌の特集用にメッセージの執筆を御願いした時にニュージーランドからのファックスが深夜にラッタッタと入ってきた時の感激は今でも忘れられない。氏はニュージーランドの自庭のチューリップツリー(百合樹)の下に眠っておられる。

ホテルの自然環境もフンデルトヴァッサーの讃えた植物や樹木の宝庫だ。今年はフンデルトヴァッサーの生誕80周年記念に150本もの椰子の木も仲間入りした。施設内の公園を散歩しているとまだ樹齢の若い木が並ぶのが目についた。それも記念プレート付きで。ほんの数日前に植樹された日付けの木も。愛の象徴である林檎の木。に、光・若さ・感性を象徴する白樺。ホテルで結婚式を挙げたカップルが記念に自分達の木を植樹したのだった。銀婚式でもよければ植樹させてもらいたくなった。

オーストリア

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