HOTEL GUIDE ホテルガイド

文化ジャーナリスト小町英恵 (早大独文卒) とハノーファーの新聞社で文化部長を務めるヘニング・クヴェレン (ハンブルク大卒、政治学修士) 。夫妻で続ける音楽とアートへの旅の途上で体験した個性派ホテルをご紹介いたします。

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54件

2014/04/01

クイーン・メリー2 (QM2)

キュナード・ラインが誇る豪華客船「クイーン・メリー2」 (QM2) がハンブルクに初寄港したのは2004年の7月19日、10年前の初入港日にはQM2を一目見ようと、なんと40万人ものハンブルクっ子達がエルベ川沿岸に立ち並んだという。以来QM2はハンブルクに停泊する度に、まるでポップスターのように歓迎&送迎されている。QM2が2011年に10日間かけてリファービッシュされた時も、作業はハンブルクのドックで行われた。今年は初入港10周年記念日にも停泊決定し、キュナードとハンブルク市との協賛で大々的な祝賀フェスティバルも開催されるのだ。“クイーン・メリー2の心の母港はハンブルク”と言われるほどで、一隻の客船がこれだけ一つの都市の人々に“私達のクイーン”として愛されているのは異例なことだろう。

歴史的にみると、19世紀半ばから第2次世界大戦まで、よりよい未来を求め希望の国へと約500万人もがハンブルクの港から大西洋横断し、アメリカへ渡っていったという背景がある。大西洋横断航海に全てをかけた当時の移民の運命を想像すると、新世界への憧れと夢が今もQM2の姿を借り、水しぶきをあげている気がしてくる。

QM2 (総重量151,400トン、全長345m、客室1310室) の建築デザインは、英国の著名な造船家、ステファン・マイケル・ペイン (Stephen Michael Payne) の総指揮にあった。ペインは権威ある王立工学アカデミーの会員で、造船業への貢献が認められ大英帝国勲章も授与されているが、BBCの児童番組で紹介されたクイーン・エリザベス号にすっかり魅了され、5歳の時から大型客船の設計をずっと夢に抱いていたという。QM2にはクルーが1238人、環境専門オフィサーもいて、自家発電設備からゴミ処理設備、排水浄化設備まで、驚くほどサステイナブルで洋上のミクロ都市として機能しているようだ。

QM2はそのゴージャスなインテリアからも“洋上のグランドホテル”とか“アドレスのない5つ星ホテル”とも称される。スウェーデンを本拠地に、半世紀に渡り船舶デザインの分野で活躍しているティルバーグ・デザイン事務所 (Tilburg Design) がインテリアを担当した。2017年完成予定のブルースターラインの「タイタニック2」のデザインにも関わっている事務所だ。“クラシックなデザインとモダンなテクノロジーの究極ブレンド”を目指したと言うアンドリュー・コリアー (Andrew Collier) をプロジェクトマネージャーに、スウェーデン、英国、アメリカからデザイナーが結集し、古き良き時代のオーシャンライナーを現代に蘇えらせた。デザインはどちらかというとアメリカからのゲストの趣味を考慮しているのかもしれないが、ヨーロピアンスタイルというよりは、英国の伝統とアメリカのアールデコが、デザインでも大西洋横断して融合している。ロス郊外のロングビーチ港に永久係留するオリジナルのクイーン・メリーはもちろんだが、“洋上の宮殿”という異名もとっていたフランスの伝説的客船「ノルマンディー」などからもインスピレーションを得ている。

ロンドンやニューヨークの老舗グランドホテルの扉を開けたように、船内に入るとまず6デッキ分吹き抜けで、エレガントなアトリウム空間「グランドロビー」に出る。ふと見上げた途端に黄金に輝く船体を表現した大スケールの銅板のレリーフ壁画 (幅6.5m、高さ7m、重さ1700kg) に圧倒されてしまう。パブリックアートで著名なスコットランドのデザイナー / 彫刻家 ジョン・マッケンナ (John McKenna) が、ヨーロッパからニューヨークへ向かうクイーン・メリー1の優美を捉えたものだ。マッケンナのスタジオ「A4A」 (Art for Architecture) でパーツを制作し、フランスのサンナザールの造船所でインスタレーションされた。アイデアスケッチから完成まで2年がかりだったという。

QM2のインテリアにはプライベートミュージアムの性格もあり、500万ドルをかけた芸術作品 (16カ国128人のアーティストが参加) が階段の昇り降りでも目を楽しませてくれる。パブリックエリアには1245作品、客室用もあわせて計5,000点にもなる。アムステルダムのアートコンサルタント会社エンタープライズ&アート (Onderneming & Kunst) がコーディネートしている。インテリアのどの位置に、どれぐらいのサイズで、どんな技法で仕上げたどんなモチーフの作品が欲しいのか、アートとインテリアが調和するように建築デザイナー側から綿密なプランが呈示されていた。

船内最大のメインダイニングルーム「ブリタニア・レストラン」 (1300席) には、3デッキ分吹き抜けのドラマチックな空間のアイキャッチャーとなるよう建築家からモニュメンタルなタピストリーが要望された。オランダ最高峰のテキスタイル作家バーバラ・ブロークマン (Barbara Broekmann) により、ニューヨークのスカイラインを背景に紙吹雪を浴びるQM2を描いた華やかなタピストリー (6.4m x 4.15m) が誕生する。「ブリタリア」とは、19世紀半ばにキュナード設立者 (サミュエル・キュナード) が外輸蒸気船を運航し、大西洋横断定期航路を本格化した時の最初の船の名前だった。ドレスアップして「グランドプロメナード」のコリドールを抜け、「ブリタニア・レストラン」の中央大階段をゆっくりと降りて席に着くと、ウォルナットのパネリングを始め、昔のオーシャンライナーのインテリアの特徴を最大限に今に受け継いだ重厚な空間が迎えてくれる。ゴールドのキュナードのロゴ入りの食器に、本当に豪華客船で航海中なのだということを実感する。

さて、この一番ゴージャスな空間は、実はスタンダードクラスの客室利用者専用なのである。キュナードの客船は大航海時代からの伝統で客室のクラス毎に専用のダイニングルームがあり、各客室クラスの名称に各々のダイニングルームの名前が付いている。スタンダードに当たるのが「ブリタニア」、ジュニアスイートなら「プリンセス・グリル」、贅沢度に上限のない各種スイートは「クイーンズ・グリル」とカテゴライズされる。ドイツでグリルというと即バーベキューのイメージしかないので、グリルの客室というと最初はどうも奇妙で仕方なかった。グリルクラスのレストランは、プライベートのクラブ風というか洗練されてはいるが、比較的こじんまりとアンダーステイトメントで、ブリタニア・レストランよりもっとハイエンドな空間デザインを期待しているとちょっとがっかりするかもしれない。クイーンズ・グリルではニューヨーク最高峰と言われる3つ星シェフ、ダニエル・ブールーが創作するシグネーチャーメニューを味わえたりするように、食事の内容とサービスの点ではグリルは申し分ないのだが。今回私達はプリンセス・グリルだったけど、アップグレードは不可でもダウングレードは構わないので、どうしてもあのタピストリーの真下の席に座ってみたいと、早い者勝ちで席の選択も自由なランチの時間を利用して空間を堪能したのだった。

他にもパリ風のスタイリッシュな「ヴーヴクリコ・シャンパンバー」もあれば、フィッシュ&チップスなども食べられる英国風パブの「ゴールデン・ライオン」、船前方に位置するシックな展望ラウンジバーの「コモドアー・クラブ」 (コモドアーはキュナードのキャプテンの中から選ばれる最高位の称号) 、キュナード創立者の名をとったカフェ&ワインバー「サー・サミュエルズ」に、アメリカのカリスマ的シェフ「トッド・イングリッシュ」による創作地中海料理のグルメ・レストランからハンバーガーもあるカジュアルなビュッフェ式レストランの「キングスコート」まで、こうして思い出して飲食施設を列挙していて、改めてそのバラエティーに驚く。滝が流れ水音も清々しいサロンの「ウィンターガーデン」は、王立植物園のキューガーデンがインテリアの原点で、トロンプルイユの天井画を見上げるとキューガーデンのウォーターリリー温室の中から空を見上げている感触を覚えるのだった。各々の空間で多彩な模様のデザインを見ているだけでも楽しいカーペットなのだが、英国の高級カーペットの代名詞とされる老舗ブリントンズ (Brintons) の特注で、フカフカで足元もとても気持ちよかった。

ゴージャスなボールルーム「クイーンズルーム」は、洋上随一の大ダンスフロアを持つ。3種類の木の美しいインレイワークが施されているフロアで、クリスタルと24金のシャンデリア (重さ1トン) の輝きの下で、夜はオーケストラ生演奏でダンスパーティーとなる。でも全くダンス音痴の主人を持つ私には夜の利用価値はないのだが、午後の船上のアフタヌーンティーは必須プログラムになった。正直言ってブリタニア・レストランのランチよりも満足度が高いのではと思った。

エンターテインメント施設も充実していて、ロンドンのウエストエンドの劇場を彷彿とさせる「ロイヤルコートシアター」、蔵書8000冊という洋上最大の図書室「ザ・ライブラリー」、プラネタリウムの「イルミネーションズ」に「エンパイアー・カジノ」、ナイトクラブの「G32」などが揃っているのだが、個人的にはあまり利用する気はせず、実は最も多くの時間を過ごしたのは自室のガラス張りのバルコニーだった。オープンデッキに出ればいいわけだが、なぜか自室のバルコニーのデッキチェアから眺める大海原はどこか違う。深夜にもバルコニーに出て漆黒の海に耳を傾けられる。ドビュッシーの『海』やリムスキー=コルサコフの『シェヘラザード』とか、海をテーマにした音楽をiPodに用意してくればよかったと後悔した。

QM2というとドイツでも格式が高いとか先入観があるようだが、実際にはそういう堅苦しい雰囲気はなくてとてもフレンドリーでくつろげる。ドレスコードも以前ほどではなくなった。ドイツでQM2をできるだけ気軽に試してみたいというのに、人気なのがハンブルクからサウサンプトンまで2泊3日、“ちょっとお試しクルーズ”という感じのリーズナブルなショートトリップだ。 (窓なしのキャビンならロンドンからの帰りのフライトも含まれて400ユーロ以下) 先にロンドンに飛んでサウサンプトンから出航の逆ルートももちろんあるが、ハンブルク出航時の感動とは比較できないだろう。クルーズセンターもあるウォーターフロントの新しい港街「ハーフェンシティ」や、エルベ川の沿道に集まってくれた数えきれない人達が拍手喝采し「いってらっしゃい!」「よいご旅行を!」と笑顔で見送ってくれる。垂れ幕まで用意したり、花火を打ち上げるグループもいれば、イギリスの愛国歌『ランド・オブ・ホープ・アンド・グローリー』を大合唱するグループも。「皆さんありがとう、いってきまーす!」とゲストの方も一生懸命大声で船から叫んでいる。キャプテンも汽笛を鳴らし声援に答える。他のどの客船でもないQM2のゲストだから経験できるセイルアウェイ、この幸せの20分間をもう一度経験するためだけでも、きっと誰もがまたハンブルクからQM2に乗りたいと思うに違いない。

2013/11/01

シュタイゲンベルガー グランドホテル ハンデルスホフ ライプツィヒ

今までドイツの様々な都市で年越しを経験したが、改めて色々思い出してみると最も心静かに1年を振り返り、清々しい気持ちで新年を迎えることができたのはライプツィヒだった。ライプツィヒでの1年の締めくくりは、大晦日午後1時半に、バッハ縁の聖トーマス教会で少年合唱団の天使の歌声に耳を傾けることから始まる。夕方5時にはゲヴァントハウスに向かい、ベートーベンの第九を聴いて心を引き締める。そして夜10時に再びゲヴァントハウスで年越し特別プログラムのパイプオルガンコンサート。バッハのトッカータの響きがまだ耳に残る中、ゲヴァントハウスのガラス張りのロビーからは、アウグストゥス広場で打ち上げられる新年祝賀の花火が華やかに眼前で飛び散るのだった。今回紹介する「シュタイゲンベルガー・グランドホテル・ハンデルスホフ」(5つ星)と「アルコーナ・リビング・バッハ14」(4つ星)は、そんなライプツィヒの年末年始やこれからシーズンになるクリスマスマーケットを楽しむのに絶好のロケーションなだけでなく、その建築やデザインがライプツィヒの文化史を物語ってくれ、ライプツィヒにしかありえない素敵なホテルだ。

グランドホテルとして生まれ変わった「ハンデルスホフ」は、元は1908年から1909年にかけてライプツィヒ市が建設した見本市宮殿だった。ゲオルク・ヴァイデンバッハとリヒャルト・チャンマーの2人の建築家が、ライプツィヒで初めて当時最先端の鉄筋コンクリート構造を使った建物だった。第2次世界大戦の犠牲になるが、戦後再建され、高級家庭用品やテキスタイルの見本市で賑わっていた。1991年に見本市会場という本来の建物の用途を失った後は、造形美術館の展覧会場として利用されたこともある。シュタイゲンベルガーグループが、新しいグランドホテルに蘇生させる計画がスタートしたのは2005年のことだった。2011年4月にホテルがオープンするまで、破壊されたオリジナル建築の威厳を取り戻す根気強い修復再生作業が続いた。

デザインはライプツィヒ出身で、現在はロイトリンゲンで事務所を開いているコルネリア・マークス=ディーデンホーフェンに一任された。インテリアデザイナーにとって夢のようなホテルプロジェクトを実現するチャンス、それも偶然にも生まれ故郷でのプロジェクトで意気込みも違ったという。「全ては歴史からデザインを引き出しています。ライプツィヒは深い歴史を持つ街、その歴史を呼吸するデザインをコンセプトにラグジュアリーホテルに相応しいアトモスフィアを創造しました。」

メインエントランスを入ると、まず壁のグラフィック模様に目が奪われ、思わず立ち止まってしまう。このパターンにも、ライプツィヒの歴史が詰め込まれているのだ。ミンクのパターンには、当時ライプツィヒが世界的な毛皮取引の中心地で、ブリュール通りだけで800近い毛皮商が軒を並べていた歴史が象徴され、紳士の顔は、ライプツィヒのユダヤ人社会のために貢献した毛皮王ハイム・エイティンゴンの生涯を物語る。

ヴォールト天井のエントランスホールの床には、赤いガラスのモジュールがはめ込まれ、内蔵されたセンサーでゲストの足取りに反応し、ライプツィヒで長年過ごし、数々の名曲を生んだバッハの音楽が聞こえてきたりする。この通路右手がレセプション、左手が客室へのエレベーター & 階段室に繋がり、生け花の香りに惹かれるように真直ぐ進むと、ラウンジ & バーのアトリウム空間が開ける。大理石のレセプションカウンターの背景となるライティングウォールのデザインが衝撃的でさえある。羊皮紙がアーティスティックにコラージュされ、光の効果で紙の重なり部分が影になり、本を積み重ねたようだ。ライプツィヒが書籍印刷技術と書籍取引の中心だった歴史が暗示される。床には樫材のヘリンボーン(魚の骨)のパーケットフローリングを施してある。天井は漆のような光沢で空間を写し、広く感じさせてくれる。カウンターから光る文字は、ゲーテの『ファウスト』からの一節。「ここではおれも人間だ。人間らしく楽しんでいいのだ。」若きゲーテは法律を学びにライプツィヒに来た。しかしゲーテは学業よりも恋愛や酒場での楽しみの方に熱心だったと伝わる。ライプツィヒの酒場も舞台となるゲーテの『ファウスト』はここだけでなく、例えば地下のスパのモザイク壁にもデザインエレメントとして、色々な形でホテルのインテリアに引用されることとなる。

ゲストのリビングルームとして構築されたのが建物5階の吹き抜けのダイナミックなガラス屋根の空間だ。バーで、カフェで、ティールームで、ラウンジで、ヒップなクラブにもなる。奥の1段上がった暖炉のあるラウンジは、メタリックな輝きのファニチャーがファッショナブルだ。

ブラッスリー「ル・グラン」はザクセン地方の伝統料理と南仏スタイルの料理を提供する。

ラウンジからブラッスリーへのコリドールにはガラス張りのヴィノテークも用意されて、ワイン試飲会も開かれる。

客室階へのエレベーター前に、レクラム文庫本をマテリアルにしたオブジェが示唆するように、ライプツィヒは日本なら岩波文庫に相等するだろう黄色いレクラム文庫の故郷(1867年ゲーテの『ファウスト』で創刊)でもあるのだ。また2階の朝食レストランは、ゲヴァントハウス管弦楽団と、昨年創立800周年を祝い来日公演も大成功だった聖トーマス教会合唱団とに捧げた。

客室はスーペリア123室、デラックス40室、ジュニアスイート4室、スイート9室と、プレジデンシャルスイートがある。建築的条件からつくりが同じ部屋は2つとない。同じダブルルームでもホテルの裏側のナッシュ広場に面した最上階の部屋がお薦めだ。歴史的な建築彫刻のバルコニーに出ると、ルネッサンス建築の旧市庁舎が目の前に現れ、見下ろすと旧交易会館証券取引所前に、若き日のゲーテ像も見えるのだ。部屋のインテリアは、ベッドヘッドの白黒のオークの葉っぱを織り上げたパターンがとても大胆だ。焦げ茶や茄子紺色といった暖かい色に、荘厳のゴールド、神秘的な黒と独特のカラーコンビネーションもセンスが光る。バスルームと部屋の間の壁は、バスタブのフォルムに沿ってカーブしている。ブラックとゴールドのモザイクに、ゴージャスな大理石のバス。ひねった短冊のようなガラスのペンダントライトが揺れ動くようなフェミニンなタッチを加える。しかし全く予期していなくてバスルームに入った途端に、視線が釘付けになったのは、トイレとシャワーの左右2枚のガラスドアだ。トイレに使うとは何事かと、ゲーテ信奉者には怒られるかもしれないが、『ファウスト』のテキストをプリントしたドアが忘れられない。

シュタイゲンベルガーグループのホテルはフランクフルトのフランクフルターホフ、デュッセルドルフのパークホテルを利用して、なんだか1970年代の最高級が埃かぶったままのようで全く趣味にあわず、実はもう20年ぐらいシュタイゲンベルガーホテルは避けてきたのだった。しかし近年は老舗を全面改装したり、スタイリッシュなホテルをニューオープンしたり、イメージアップに成功し、ブランドの将来が明るくなってきている。
(注:『ファウスト』からの引用は中公文庫手塚富雄訳)

ドイツ

2013/07/01

ラディソン・ブル・ホテル・ナント 1

ナントにはジュール・ヴェルヌの時代から創造精神を育む伝統があるのか、造船業の衰退後もクリエイティブな発想で都市再開発を推進し、21世紀の豊かな文化生活都市へと変貌することに成功している。また、ホスピタリティー事業でもドイツの市議会では、絶対に決案無理なアイデアが現実化された。

旧パレ・ド・ジャスティスという裁判所の歴史的建築が2年越しで修改築され、昨年11月に「ラディソン・ブル・ナント」が華々しくオープンした。裁判所がラグジュアリーな4ツ星デザインホテルになったのは、ヨーロッパでも初めてのことで、ラディソン・ブルのブランドにとっては、フランス国内最新のフラッグシップのプロジェクトでもある。パレ・ド・ジャスティスは日本だと具体的になんという法務機関になるのか私にはよくわからないが(ドイツだと裁判所だけでなく州法務省が入っている場合もある)、裁判所でも高等裁判所の類だろうか。1852年の建設(建築:Saint-Félix Seheult, Joseph-Fleury Chenantais)で、2000年にナント島にジャン・ヌーヴェルの設計でパレ・ド・ジャスティスが新築されるまで実際に裁判所として機能していた。

ホテルはナント中心街のアリスティード・ブリアン広場に面する。この広場はナント出身の著名な政治家でフランス首相も歴任し、ノーベル平和賞も受賞したアリスティード・ブリアンに捧げている。広場からホテルと対面すると、新古典主義のファサードは今でも“正義の殿堂”という風格と威厳を漂わせる。“正義が無罪を擁護する”ことをメタファーにした彫刻(Étienne-Édouard Suc)やエントランス両サイドの正義の女神と獅子像が“法と力”を象徴する彫刻(Amédée-Aimé Ménard)も印象的だ。ホテルへのリノベーションはパリのDTACC建築事務所のジャック・ショレ(Jacques Cholet)が指揮し、インテリアはパリのジャン=フィリップ・ヌエル(Jean-Philippe Nuel)が手がけた。歴史を物語る重厚な建築とエスプリの効いたコンテンポラリーなインテリアが色鮮やかに共生する。

考えてみると裁判所と名のつく建物に入ったことがなかったので、何も悪い事はしていないのに足取りがちょっと恐る恐るとなってしまった。裁判官や弁護士、陪審員、容疑者が出入りしていたわけだ。黄金のライオンオブジェに出迎えられ、裁判所の正面中央の大階段を上ると、裁判所のエントランスホールだった吹き抜け空間、床面積が400㎡と、それは広々としたロビーに出る。古代ギリシャ風の列柱に囲まれ白と黒を基調にしたホールに赤、牡丹色、茄子紺などの強烈なカラーアクセントとなるファニチャーがリズミカルにアレンジされ、理性に徹した空間が暖かく、エモーショナルなホテル空間に移行している。光天井からさんさんと自然光が降り注ぎ、レセプションデスクともレセプションカウンターとも言いがたい、純白の翼のようなオーガニックなテーブルオブジェクトでチェックインとなる。ラッカー仕上げで真っ赤な光沢のホテルのカフェバーが「ル・プレアンビュル(Le Preambule)」。カフェバーのあるロビーホールはホテルのプレリュードとでもいうのか、プレアンビュルは法律の“前文”を意味している。元来は重罪院(Cour d'assises)の法廷として裁判が行われていた吹き抜けの空間に、レストラン「ラ・シーズ(L'Assise)」が配された。裁判官が判決を下した最奥の一段高いコーナーにも見渡しのいいテーブル席が設けられ、その中央にはワインボトルがインスタレーションされる。ホテルのデザイン同様に、地方の伝統料理とモダンに解釈し直した料理の両方が堪能できる。夜は壁にビーマーから神秘的な光のショーが投影される。スパ&フィットネスは、以前は被告人が刑の宣告を待つ部屋だったそうで、日頃の運動不足を宣告された気分で、トレーニングにもいつになく熱が入ってしまった。

ポップなドット模様のカーペットが足元を楽しませてくれるフロアを通って辿り着く客室はダブルが122室、ジュニアスイート&スイートが20室の全142室を数える。デザイナーはナント美術館に『聖ヨセフの夢』などの名作がコレクションされるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵画に大きなインスピレーションを受け、部屋もバスルームも色彩的にもライティングでもラ・トゥールの絵画のように明暗、光と闇のコントラストが強いインテリアになった。そこで翌日ラ・トゥールの絵を観たいと美術館へ向かったら、がっかりすることに改修工事で閉館中。そしてなんとコレクションは現在日本の美術館を巡回中とのことで失笑してしまった。白いファニチャーの多くはこのホテルのためにオリジナルデザインされたと言う。

普段ならこの“ロマンス”という名のパッケージなどまさか利用することはないのだが、オープニングのプロモーションレートだったのか、スタンダードと変わらない料金で、ジュニアスイートだと朝食&花束&シャンパーニュをサービスしてもらえるということで、この歳になって初めて“ロマンス”なるパッケージを予約したのだった。しかし花束も部屋に見当たらないし、シャンパーニュへのお誘いもない。ラディソンの予約センターとホテル間の連絡ミスとわかり、お詫びにと、まずバーでシャンパーニュを1グラス頂くことになった。予約センターがミスしてくれたことに感謝!花束の方はというと、ボーイさんが急いで街の花屋に送り出されることになったらしく、しばらくするとフローリストの名刺付きで、春らしく清楚な花束が部屋に届けられた。指定通り真夜中に部屋に運ばれたシャンパーニュのボトルは、ラベルを見て「ルイナール」なのにもポジティブに驚いた。花束を改めて愛でる。実はこんなきれいにアレンジされた花束など今までもらったことがなかったので、本当に嬉しくて仕方ない。ナントからロワール古城をまわってハノーファーに戻るまでの1週間、この花束を車の後座席に乗せて(ほとんどドライフラワー化してしまったが)旅して家まで運んだのだった。

フランス

2013/03/18

ホテル・クール・デュ・コルボー(フランス・ストラスブール)

世界遺産に登録される旧市街グラン・ディルは、大聖堂のゴシック建築やコロンバージュ(木組み)のアルザス伝統建築が美しく保存されており、欧州議会を始めEU機関が集まるヨーロッパ区には、現代建築が建ち並ぶ。そういう新古の2つの性格が調和するストラスブールの街にふさわしく、ホテル「クール・デュ・コルボー」には、ルネサンス建築と今日のデザインが、コントラストを描きながらも矛盾することなく調和している。宿としての創業が1528年というから、ヨーロッパで最も古いホテルの一つに数えられる。「クール・デュ・コルボー」は、アルザス地方に残る木組み建築の中でも屈指の美しさだ。また4ツ星のラグジュアリーホテルで、全てが木造建築というのもかなりの希少価値だろう。

ストラスブールの中心から、コルボー橋(中世には犯罪者を袋にいれてこの橋から川に投げたという)を渡って、イル川河畔のコルボー広場の小さなアーチをくぐり抜けるとホテルの中庭へと通じる。広場側からは、ここを入ると本当にブティックホテルが現れるのか、ちょっと心配になる面持ちだが、、。クプレ通り側のメインエントランスは、種類の違う木のパネルがリズミカルにアレンジされたモダンなファサードの建物だが、中庭側から入った方がずっと強烈な印象だろう。コルボーとはカラスのことだそうで、コルボー橋はカラス橋、コルボー広場はカラス広場、「クール・デュ・コルボー」は“カラスの中庭”となり、なんだかカラスだらけだが、カラスのお宿だったわけではなく、ホテルの人にもカラスになった確かな理由はわからないそう。

建築コンプレクスは、1930年から歴史的モニュメントに指定されており、ストラスブールで必見の観光名所に挙げられることも多く、滞在中はホテルの中庭の見学に訪れる観光客にも何度か出会った。ゼラニウムの赤い花が欄干やバルコニーを鮮やかに飾り、中庭からの眺めは絵葉書そのままの光景だ。中世からの時代を経て、曲がったり傾いたりした木造建築が、夜になりライトアップされると神秘的でさえあり、螺旋階段や渡り橋や窓枠が動き出すかのようでもある。

「クール・デュ・コルボー」は、個性的なブティックホテルのコレクション「Mギャラリー」のメンバーでもある。Mギャラリーはアコーホテルズの新しいラグジュアリーブランドで、英国出身の個性派女優クリスティン・スコット・トーマスがブランド大使を務める。今はストラスブールの「クール・デュ・コルボー」なわけだが、16世紀の昔は神聖ローマ帝国の時代だったので、ドイツ語でシュトラースブルクの「ツム・ラッペン(黒馬)」と呼ばれる宿屋だった。3世紀に渡り由緒ある宿として知られ、モーツァルトやリスト、アレクサンドル・デュマもゲストに数えられ、プロイセンのフリードリヒ大王やオーストリアの皇帝ヨーゼフ2世もお忍びで滞在したものだった。しかし1852年に閉業となり、教会のステンドガラスなどで有名だったオット兄弟のガラス工場へと用途は大変した。このホテルの建物で100年以上にも渡り、戦争時にもガラス職人が働いていたとは今は想像もつかない。そのガラス会社も閉鎖され、1982年にストラスブール市が不動産を買い上げるが適切な利用案もなく、建物は空き家のまま次第に荒廃してしまう。あまりにも厳格な歴史的モニュメント保護法下の条件がネックとなり、ホテルプロジェクトもなかなかうまく行かなかった。このままでは建築文化遺産が廃墟になると、「クール・デュ・コルボー」の救世主がやっと現れたのが2006年。売価70万ユーロで投資額が約1500万ユーロと聞く。2007年に根気のいる気が遠くなるような修改築作業を開始して、2009年5月にブティックホテルとして再誕生する。

プロジェクトを指揮したのはパリの建築家ブノワ・ポーセル(LPAアーキテクツ)。可能な限りオリジナルの建築要素が残され、再利用不能な状態のマテリアル、破損部分は同様の古材を探して使ってある。木の支構造は、ほぼ全てのオリジナルを特殊な樹脂加工を施し、強化して保存した。例えば屋根瓦の不足分は解体される運命にあったアルザス地方の古い家との同じ色合いの屋根を再利用している。暖房や温水はエコロジカルに地熱発電だ。部屋の扉は昔からのトスカーナレッドに塗装された。ルネサンス時代には雄牛の血で赤く塗装されていたとのことだが、この伝統はまさか受け継いではいない。

ホテル内をいろいろ探検し歩くと好奇心旺盛のゲストとしては、様々な発見が多く楽しくて仕方ないが、廊下の途中で変に曲がっていたり、突然段差があったりで、ふと清掃担当スタッフのことが頭に浮かんだ。階段も多いし、清掃用カートでは動けないような廊下もあるし、通常以上に体力と手間が要求されるに違いない。本当に毎日ご苦労さまです!

フランス

2013/01/15

ダス・ストゥエ(ドイツ・ベルリン)

ベルリンの旧デンマーク大使館がホテルになるという着工ニュースに本当?と驚いたのが、もうかれこれ3年も前のことだった。当初は2010年内に竣工というプランだったのだが、建物が歴史的建築保護法下に置かれているために、予期せぬ問題が生じたり、途中でインテリアデザインの方向転換を図ったりして、プロジェクト進行が遅れに遅れてしまった。そしてやっと2012年12月にベルリン最新のデラックスブティックホテル「ダス・ストゥエ」(5つ星)がグランドオープニングを迎えた。パトリシア・ウルキオラをパブリックスペースのデザイナー & 芸術ディレクターに迎え、時間をかけたかいがあったと頷ける、期待を裏切らないデザインクオリティーを達成している。

ホテルの名前になっている“ストゥエ”とは、デンマーク語で“リビングルーム”を意味するとのこと。ホテルは、ベルリンのための「最上のドローイングルーム」をクリエートしたいという思いで実現された。ベルリンの新しい“サロン”の誕生だ。デラックスホテルでも隠れ家的でアットホームな雰囲気に包まれる。このホテルはスペイン、アンドラ、パナマで建設業にかかわる某3家族が不動産管理会社WHIMを設立して共同投資した。オーナー家族は匿名希望。ヘルムート・ニュートン、フィリップ・ハルスマン、リチャード・アヴェドン、F.C.グンドラッハなど、錚々たる写真家の作品がホテル内の壁を飾っているのだが、その数えきれない1950年代、60年代のファッション写真も、オーナー家族のプライベートコレクションである。

ホテルはベルリンの緑の心臓部の中に位置する。フロントファサード(幅60メートル)は、ティーアガルテン公園に面し、ドラーケ通りの曲がり具合に添って緩やかに弧を描く。ホテルの半円の建物は、公園とベルリン動物園に挟まれる形で、昼間なら裏庭から向こうのダチョウに挨拶したくなるくらいだ。ティーアガルテンは各国の大使館が集まっている地区で、ホテルの西側はスペイン大使館に隣接している。ウルキオラもスペイン出身、レストランはスペインのミシュラン2つ星シェフ、パコ・ペレスの指揮下にあり、スペイン尽くしの一角になった。

威厳を放つネオクラシックな石造建築は、1938年から1940年にかけて、デンマーク王国大使館として建設された。建築家はヨハン・エミール・シャウト。ベルリンの老舗百貨店KaDeWeもシャウトの設計である。正面中央に見える大きなバルコニーのある階がベル・エタージュで、嘗ては大使のレジデンスであり、現在はこのホテルのスイートである。第二次世界大戦後、西ドイツの首都ボンに大使館が移転してからも、デンマークは将来ドイツ再統一でベルリンに戻る場合を想定して、1978年まで不動産を維持し、自国の軍事使節館、領事館に利用していた。しかしドイツ再統一の夢は消えたと判断したのか、住宅公団に売却処分してしまう。空き家状態が続いた後、ドイツ郵便やドイツテレコム社が利用したりしたが、2005年には再び空き家になってしまった。そして2009年にホテルを蘇生させたいという救い主が現れたのだった。

ホテルへの改築 & 増築は、アネッテ・アクストヘルムが主宰するポツダムの建築事務所、アクストヘルム・アーキテクツが担当し、歴史ある大使館建築の厳格さと、軽やかで動きあるコンテンポラリーな空間構成とを結合させた。ガーデンサイドの新築棟には、写真をコンクリート表面に転写するフォトクリートで、フローラル文様のファサードが旧館と好対照を成している。

エントランスホールでゲストはまず、迫力あるブロンズ製のワニの頭に歓迎される。このワニだけでなく動物園のお隣さんというわけで、ホテル内では色々な動物オブジェに遭遇することになる。革のカバやサイ、カラフルなワイヤーのキリンやゴリラ、ユーモラスに動物オブジェが挨拶してくれるかのようだ。エントランスは、昔のお城なら馬車が通り抜けただろう表から裏まで、細長い通路ホールなのがユニークだ。実際、大使館時代には、裏のガレージへと自動車が通り抜けるようにできていたそうだ。吹き抜けの天井からは何百ものLEDライトのインスタレーションで、光の波が押し寄せるドラマチックな演出だ。その光が降り注ぐ中を奥へ奥へと視線が誘われる。旧館と新館を繋ぐトンネルのようなレセプションエリア、そこを抜けると、ラウンジバーと三角形のオールデイダイニング・レストラン「ザ・カジュアル」が現れる。

パブリックスペースは伝統とコンテンポラリーとが溶け合い、適度にフォーマルで、適度にカジュアルで、適度にインティメイトだ。インテリアには「贅沢だけど物質的な意味での贅沢ではなく、一種の“オーギュメンテッド・リアリティ”(拡張現実)と言える、一瞥しただけではわからないラグジュアリーさが、たくさん鏤められている」とウルキオラは言う。エントランスホールの左手にはショーキッチンのファインダイニング・レストラン「シンコ(5)」。ここに圧倒的なデザインが待っているので、食事をしなくても、オープン前にぜひ空間見学をおすすめしたい。数えきれない銅製鍋や銅製ランプ(トム・ディクソンのカッパーライト)が天井からぶら下がり暖かく光を反射する磨き上げた銅の雲のような群像が構成された。この銅鍋ライトインスタレーションの下で、30品で構成されるムニュ・デギュスタシオンを味わえる。

客室は5つのカテゴリーに分かれ、57室 & 23スイートの計80室。ベルリンの大都会のど真ん中にいるとは思えない部屋からの眺めが贅沢だ。動物園側の部屋からは、カンガルーやプルツェワルスキー馬が見えることもある。今回泊まったのは大使館建物の最上階(5F)の“エンバシールーム”。ダブルルームでもバスタブ付き、それは広いテラス付きの部屋だ。客室のインテリアは、バルセロナのデザイン事務所LVGアルキテクトゥーラが手がけている。焦げ茶のダークなフローリングの床に白、ベージュ、グレーを基調にすっきりと、クッションやマットの鮮やかな色や模様がビビッドなアクセントを添える。この部屋の動物オブジェはカラフルなキリンだった。デンマーク大使館ということでアルネ・ヤコブセンのチェアも欠かせない。パノラマウィンドーで、ティーアガルテン公園の森林への眺めがいい。冬で木の葉が茂っていないので、テラスからは戦勝記念塔の金色の勝利の女神ヴィクトリアが光って見えた。気温はマイナス7度だったが、ダウンコートの上から部屋にあった毛布にくるまって、手袋もして、スパークリングワインで乾杯した。

窓の向こうにはビルも何もないので、ガラス張りの壁のバスルームでもカーテンを開けたまま、裸で平気だ。テラスに雪が白く積もっているのを眺めながら、雪見酒ならぬ雪見風呂を楽しむこともできる。水栓金具やバスタブはノーケン社(ポルセラノーサ)のスタイリッシュなデザイン。水の温度や水量の調整にシングルレバーの動かし具合が微妙だが慣れると簡単だった。シャワーヘッドのフォルムはまるでスマートフォンみたいだ。アメニティはイギリスのギルクリスト & ソームズ(“ロンドン・コレクション”)。冬なので小さなリップバルサムも置かれていたので助かった。

私達は向かい通りに駐車していたのだが、夜の間に雪が積もってしまっていた。翌朝帰りに雪をどける作業をしていると、サービスにドアマンが走りよってくるのが見えた。ホテルのスタッフのユニホームはドアマンもベルリンで注目のオーダーメードの紳士服ファッションブランド“ダンディ・オブ・ザ・グロテスク”でクリエートされたもの。せっかくのおシャレなジャケットが雪で真っ白になってしまい、なんとなく恐縮してしまった。

ホテルの滞在で唯一の問題は部屋のテレビだった。部屋にはテレビはなく、マックのコンピューターが用意されている。私達二人は夜のテレビのニュースを見ようとしてもチャンネルに到達できない。悪戦苦闘の上に手順をマスターしたら、ニュースはもう終わっていた。私達は毎日マックのコンピューターで仕事をしているからいいけれど、高齢の御婦人などは、生まれて初めてのマックのコンピューターとリモコンに、目を白黒させてしまうのではないかな。

ドイツ

2012/05/07

QFホテル・ドレスデン(ドイツ・ドレスデン)

「エルベ河岸のフィレンツェ」とも称される芸術と音楽の古都ドレスデン。旧市街と新市街を結ぶエルベ川に架かるアウグストゥス橋の上から、歴史的建築物のシルエットと、その上空に打ち上げられる花火との大絵巻を眺めながら迎える新年は格別のものだ。元旦にはドレスデンの象徴的存在であるフラウエン教会(聖母教会)で、ヘンデルのオラトリオ「メサイア」のコンサートがあり、晴れやかに新春を迎えることができる。ブティックホテル「QFホテル」は、フラウエン教会を囲む形で広がるノイマルクト広場に面し、フラウエン教会のお隣さんという絶好のロケーションに、2007年3月にオープンした。ゼンパーオーパー(ザクセン州立歌劇場)、ラファエロの門外不出の傑作『システィーナのマドンナ』があるアルテ・マイスター絵画館、まばゆいばかりの宝物館「緑の丸天井」など、ドレスデン観光ハイライトへ歩いてすぐで本当に便利だ。

今のホテルの場所には元々創業1804年という老舗ホテル「シュタット・ベルリン」(ベルリンシティの意)があり、嘗てドストエフスキーやショパンも滞在していたという。しかしこの歴史に残るシュタット・ベルリンは1945年のドレスデン大空襲で破壊されてしまう。QFホテルはその跡地に建設され、ドレスデンでは最も洗練されたインテリアのホテルだ。QFは「Quartier an der Frauenkirche(クヴァルティエ・アン・デア・フラウエンキルヒェ=フラウエン教会クオーター)」の略で、ホテルは同名のショッピングモールとコンプレクスを形成する。再建プロジェクトでは、うぐいす色のファサードのデザインに昔の建物の特徴を取り入れることも重要視され、角の部分も当時のように独特のアールを描いている。

全欧の設計事務所を対象としたデザインコンペで、ローマの「ホテル・エデン」や「グランドホテル・デ・ラ・ミネルヴァ」を始め、各国で数多くのデラックスホテルを手掛けてきた著名な建築デザイナー、ロレンツォ・ベリーニのコンセプトが選ばれた。“ドレスドナー・バロック”と呼ばれ、ドレスデン特有のバロック建築が建ち並ぶ旧市街の中で、ローマ生まれのイタリアンシックな空間コーディネートを満喫できる。ロビーは壁の燻し銀の渋い輝きに包まれ、メタルとガラスのエレベーターシャフトが円筒状の吹き抜け空間をシャープに昇降する。光天井を見上げると、柔らかい曲線の白い光輪が渦巻いて天に昇るかのようにドラマチックだ。夜はコージーな雰囲気のバー&ラウンジで、世界最北のワイン産地ザクセンのワインを味わってみたい。朝食は最上階6F、テラス付きの明るいカフェバー的空間でいただく。市松模様のモダンなガラスの壁の席が素敵なのだが、あえてそこには座らず、距離を置いて眺められる別の席にした。というのもフラウエン教会の「石の釣り鐘」とも呼ばれるドームが見えるように開けられた窓を発見したからだ。壁が額縁となり、絵画を鑑賞する印象だ。

コンテンポラリー&エレガントなインテリアの客室は全95室あり、うち3室が各々にスタイルの異なるスイートで、最も眺めのいい最上階に位置する。トラディショナルな「クラシックスイート」、おしゃれでワンルームの「ブティックスイート」、広場を眺め下ろす「ノイマルクトスイート」から選べる。家具に使われている木やファブリックの素材からアイボリー、グレー、マロンクリーム、アースカラーといった色使いも、ドレスデンでの見切れないほどのミュージアム見学疲れの後で、上質なくつろぎを約束してくれる。バスルームには、イタリア産の天然石がとても贅沢に使われた。フラウエン教会の砂岩を思わせる淡いトーンの石だ。ブティックスイートは部屋自体が57㎡で、それに53㎡もの驚くほど広いテラスが付いているのも魅力だ。そしてこのテラスからはフラウエン教会、宮廷教会の塔やレジデンツ城の屋根、美術アカデミーのガラスの円蓋まで視線が届く。フラウエン教会は米英連合軍によるドレスデン大空襲の犠牲となり、東西ドイツ再統一で再建事業が本格化し、11年もの歳月を経て再びその美しさを取り戻した。日が沈んで夜の闇となるまでの間の全てが深い青に包まれる時間、その青の時間にテラスからフラウエン教会のドームを眼前にすると、鐘塔からハレルヤコーラスが響いてくるかのようだった。

ドイツ

2011/09/01

ホテル・プリンチペ・ディ・サヴォイア (イタリア・ミラノ)

「プリンチペ・ディ・サヴォイア」はミラノの共和国広場に臨み、そのネオクラシックなファサードからもホテルの風格と歴史が漂う。以前はちょっとインテリアも埃をかぶってしまった感の否めなかったグランドホテルが、ここ数年かけて見事なトランスフォーメーションを成し遂げた。フェラガモやカッシーナというイタリアを代表する老舗ブランドが誕生したのと同じ1927年の創業である。平成5年には天皇皇后両陛下もお泊まりになったそうである。昔も今も変わらず世界中のセレブ達に愛される。昨年のヴェネツィア映画祭で金獅子賞に輝いたソフィア・コッポラ監督の新作で、セレブライフに虚無感を抱き始めるハリウッドスターの父親と、思春期の娘との複雑な心の交流を描いた『SOMEWHERE』のロケにも使われ、映画の成功とともに改めてホテルへの注目度も増したようだ。

2003年にブルネイ投資庁が所有する都市のランドマーク的最高級ホテルの「ドーチェスター・コレクション」に仲間入りし、5000万ドルをかけて、次第にトータルリニューアルが敢行される。回転ドアからエントランスのロトンダに足を踏み入れると、左右対象の銅色のメタルのネットに覆われたウォールエレメントと、ゴールドの花飾りコラムに迎えられ、ベルベットのカーテンの向こうには、1930年代のアールデコの劇場が隠れている印象を受ける。

ティエリー・デスポンが手掛けたロビーラウンジの「イル・サロット」は、より明るく、よりフレンドリー、より彩りも豊かに変貌した。デスポンはNYを拠点に活躍するフランス人建築家で、過去には「自由の女神」修復の監修という世紀のプロジェクトを任された経験も持つ。プリンチペでは「エキサイティングでイノベイティブな感覚をクリエートすると同時に、伝統と歴史への敬意も表現することがチャレンジだった」という。家具もカーペットも全てがオリジナルデザインで、イタリアのファブリック(ルベリ社やC&Cミラノ社)やイタリアの革(コルティーナ・レザー社)をマテリアルに、インテリアの全てにイタリア職人芸の粋が集まる。ラウンジのデザインは、トスカーナ地方の庭園や独特の柔らかい光にインスピレーションされ、コンテンポラリーとクラシックがバランス良くブレンドされた。

本格的イタリア料理のレストラン「アカント」は、ミラノとロンドンにスタジオを持つチェレステ・デルアンナのデザイン。セレブの豪華ヨットのインテリアでまず名を成したデザイナーである。カスタムメードのムラノガラスのクラシックな照明と、光のムードを時間帯によって変化できる最先端のLEDの照明システム(オスラム社とのコラボレーションで開発)が、新旧の融合で雰囲気を出すのに大きく効果している。シャンデリア上部の天井には、ガラスファイバーとスワロフスキー・クリスタルの光の冠が配される。アラン・デュカスともコラボレーションしている屈指の専門家、ポール・ヴァレがレストランのショーキッチンを設計した。噴水からの水音も、清々しい庭園の席も落ち着く。

最上階まで上ると、プール付きのエレガントなフィットネス&ウェルネスセンター「クラブ10」。一汗かいた後はルーフテラスでリンゴをかじりながらミラノの街を一望できる。スカラ座のバレエのスターダンサー、ロベルト・ボッレもこのクラブを利用しているらしい。

一番リーズナブルなクラシック・プレミアムルームから、映画『SOMEWHERE』にも出てくるポンペイの壁画の様式で装飾されプライベートプールもある500㎡の広大なプレジデンシャルスイート(14500ユーロ)まで、ホテルは10フロアに全401室。そのうち132室がスイートになっていて、デヴィット・ベッカムがACミランに移籍中は、9Fのロイヤルスイートがベッカムの“わが家”だったそう。広場に面したフロントの部屋はデラックスモザイクルームと呼ばれ、白大理石のよりコンテンポラリーなバスルームに美しいモザイク画がデザインされている。

泊まったのは、ロンドンのフランチェスカ・バスのデザインによるデラックス・プレミアムルーム。ドアや調度品は、18世紀にインタルジア(寄木細工)の著名なマイスターだったジョゼッペ・マッジョリーノのスタイルを受け継いで製作された。優しいカラートーンのネオクラシックなインテリアの中で、ダマスト織りを始め、イタリアの絹織物の伝統と精緻の職人技術を実感できる。部屋の壁にはヴェルディのオペラ「アイーダ」の譜面が飾られ、それを眺めていると是非とも夜はスカラ座に行きたくなってしまうだろう。広いバスルームは大理石のマテリアルの美しさに捧げたデザイン。壁と床に深緑の大理石と赤系の大理石とで大胆な幾何学パターンが描かれる。アクア・ディ・パルマのアメニティのレモン色が爽やかだ。シャワーのパーティションもドアも透明ガラスで、主役の大理石が隠れることがない。

ホテルのロケーションはドゥオーモ広場からはちょっと離れているが、15分おきぐらいに中心街へのシャトルサービスが用意され、とても便利だ。ピカピカに磨かれたメルセデスベンツのリムジンカーに乗るなんて最初で最後かも。それも運転手さん付きで、、。数分だけ車内でVIP気分に浸り、美術展を梯子して、スカラ座のチケットオフィスで半分冗談に今夜の分はあるか聞いたら、冗談でなくゲルギエフ指揮でプッチーニの「トゥーランドット」の平土間席チケットがあった。イタリアの演劇界で実験的な作品で絶賛されているというジョルジョ・バルベリオ・コルセッティ監督の新演出ということで、前喜びも大きい。それが幕を開けたらどこに新しい解釈が?どこに実験精神が?と、最後の最後まで余りにも退屈でがっかりしてしまった。前回のバレエの時もはずれだったし、スカラ座とは相性が悪いのだろうか。チケット代を考えると、このまま部屋に戻っても落ち込みそうで、バーで元気回復することにした。

「プリンチペ・バー」のリニューアル前は「ウィンターガーデン・バー」と呼ばれていて、フローラルなステンドグラスの天井が、その代名詞的インテリア要素だったが、ティエリー・デスポンは勇敢にもこの天井を消滅させ、それはムラノガラスのシャンデリアをスパークリングさせた。「自由の女神」のトーチデザインや、ハリー・ウィンストンの宝飾サロンプロジェクトでデスポンとコラボレーションしているアメリカのガラス作家ロバート・ドゥグレニエールのデザインで、3000個ものパーツに構成される。グランドピアノのリム(側板)をラップして背もたれとしたユニークなシートが、センターピースとなっている。壁のアートはミンモ・ロテラの作品。せっかくだから何かプリンチペでしか味わえないカクテルでもということで、ヘニングさんはウォッカマティーニと生牡蠣のコンビネーションで「オイスター・マティーニ」をセレクト。私は「ソーニョ」というイタリア建国150周年を祝う記念カクテルに決めた。テーブルに置かれたのは夕焼け雲のピンク色のカクテル。シチリアのタロッコオレンジ、トスカーナのガリアーノリキュール、ヴェネトのプロセッコと、南・中央・北と、イタリア全土がシェイクされていた。カクテルの名前は「夢」を意味するそう。ほろ酔いになってくるとシャンデリアのマジカルな光にスーッと吸い込まれてしまいそうな夢心地になるのだった。

イタリア

2011/07/01

ソフィテル・ヴィエナ・シュテファンスドーム (オーストリア・ウィーン)

ウィーン最新のデラックスホテル「ソフィテル・ヴィエナ・シュテファンスドーム」は、ドナウ運河岸に高さ75mのウルトラモダンな雄姿を見せる。ジャン・ヌーヴェルが建築もインテリアもトータルデザインしたプロジェクトで、過去の歴史を今に呼吸し、未来へオリエンテーションするウィーンの街のスピリットが建築に表現された。そしてウィーンの百万ドルの夜景をプレゼントしてくれるホテルでもある。

世界最大級のフランス系ホテルグループ、アコー(Accor)社のヨーロッパにおけるフラッグシップとして構想された。ホテルが入る建物全体は通称「ヌーヴェル・タワー」と呼ばれている。オーストリアの大手保険会社ウニカ(Uniqua)が1950年代の本社ビルを撤去し、2004年の建築コンペで圧倒的支持を受けたヌーヴェルの案を実現した。このモニュメンタルなガラスの斜塔に、3Fまではインテリアブランドのショップやデザインギャラリーが集まるライフスタイルセンター「シュティールヴェルク」(Stilwerk)がフロアを占める。

このプロジェクトはウィーンの都市開発問題を考えると、その社会的な意味も軽視できない。ホテルのあるウィーン第2区レオポルトシュタット(Leopoldstadt)には、バルカン諸国からの移民やユダヤ教徒が多く暮らし、地図上ではドナウ運河を挟んで中心部の第1区に隣接するが、運河の境界線が次第にリッチな旧市街との繋がりを隔てるかに相互関係が薄れてきていた。ヌーヴェル・タワーの魅力が両地区の橋渡しとなり、住民の交流を促している。ターボア通りを挟んでハンス・ホライン設計の「メディアタワー」と、微妙に傾く二つのビルが、レオポルトシュタットへの新しい“アーバンゲート”をクリエートしてもいるのである。

「グレーはデザインのスピリットを表現してくれる色」と言うヌーヴェルだが、ホテルのインテリアは全館通して様々なニュアンスのホワイト、グレー、ブラックと徹底して無彩色と抽象的なフォルムでコンポジションされた。そのヌーヴェルの建築空間と対極にありながら、同時にパーフェクトにハーモニーしているのが計2,000㎡に及ぶピピロッティ・リスト(Pipilotti Rist)の壮大なメディアインスタレーションである。フレスコ画に代わる21世紀の天井画ともいえる。リストは「人間の内面はとてもカラフルだから」と、それは鮮やかな色彩感覚で、超現実的なビデオワークを組み込んで、絵画的な光る天井(LED)をクリエートした。エントランス、ウィンターガーデン、そして圧巻は最上18Fのパノラマレストラン&ラウンジバー「ル・ロフト(Le Loft)」だ。外と内の区別がつかなくなり、天井に柔らかく張ったテントのようなメディアアートが、透明ガラスの壁を越えて宙にまでどんどん広がり、ウィーンの街の上空を無限の色彩で覆い尽くしてしまうかの視覚魔法にかかってしまう。ファサードのガラスはガラス光天井を美しく見せるために無反射で、可能な限りの透明度と薄さが要求された。時間にあわせて光量やメディアアートの演出を操作できる。総ガラス張りで日よけがないと夏の暑さを懸念しそうだが、そこは内側と外側のガラス間に80cm幅の緩衝装置となる層があり、熱気と冷気が換気される。食事の方はフランスの名シェフ、アントワーヌ・ウェスターマンのアルザス料理をベースにしたメニューコンセプトで、席の確保もなかなか容易でないほどの人気だ。

フランスの植物学者&ランドスケープデザイナー、パトリック・ブラン(Patrick Blanc)は、防火壁を垂直庭園「グリーンウォール」に変貌させ、四季折々に2万種の植物が壁の風情も変える。

ヌーヴェルはサステイナビリティの観点でも新しい試みを実践してみせた。例えばウィンターガーデンの斜面ファサード、シュテファン大聖堂のゴシック建築屋根のパターンを新解釈して、不規則な菱形グリッドにデザインされたが、夏に外気が26℃を越えるとガラスが熱くならないよう、既存の近くの古い井戸水を霧雨にして冷却される。井戸水冷却はオーストリアで初めて応用された技術である。省エネにも優れ、夏は温水全てが屋根の太陽熱発電で賄われ、更に地熱発電装置も備える。

ヌーヴェル・タワーのファサードは、南側の旧市街に面した正面がグレー、西がブラック、北がホワイトで、東が透明なマテリアルで構成され、それに一致して客室(全182室)も南側はグレー、北側はホワイトにトータルカラーコーディネートされている。そしてスイート3室は全てがブラック。建築家は、本当は部屋の半数を真っ黒にしたかったそうだが、ホテル側の強い懸念でスイートのみに。壁や天井には部屋毎に異なるオリジナルコンセプトの繊細な鉛筆の壁画が、ウィーンの若手アーティストの手で描かれた。部屋の窓からもその部屋からだけの風景画が窓枠内に浮かぶ。“ソフトタッチ”をコンセプトに優しい手触りのインテリアだ。バスタブのデザインも建築同様にシャープで幾何学的だ。ただ短足だと、出入りにヨイショと結構な技が要求される。

部屋の白は本当にほんの少しの汚れや表面が擦られただけでも気になって仕方ないものだ。角も丸みを帯びておらず角だっているのでそれも破損しやすそう。実際に既にソファの表面には薄らと垢汚れした部分が見受けられた。この部屋ほどなぜかルームメイドや掃除スタッフの苦労が思いやられたことはなかった。チェックアウトの時に「お掃除やメンテナンスが大変ですね。」と労うと「大丈夫です。最初から計算に入れてありますので。」とのこと。余計なお世話だったかと思いながらも空港でのフライト待ち時間にもやっぱりお部屋の掃除の心配を続けていた。帰宅して、自分の住まいに白い家具がないことに、改めて安堵したのだった。

オーストリア

2011/04/01

ハイアット リージェンシー デュッセルドルフ (ドイツ・デュッセルドルフ)

今年2月にグランドオープンを祝ったばかりのハイアット リージェンシー デュッセルドルフ。19階建てのスーパーモダンなビルは地元のJSKアーキテクテンが設計。

歌謡曲のヨーロッパ選手権、或いはヨーロッパ諸国対抗歌合戦とでも言えるかもしれないが、毎年5月には欧州放送連合の主催でユーロビジョン・ソングコンテストが行われる。第56回目を迎える今年はドイツが開催国で、その開催都市に選ばれたデュッセルドルフにもスポットライトが当たっている。

「ハイアット リージェンシー デュッセルドルフ」は去る2月11日にグランドオープンを祝ったばかりで、デュッセルドルフにかつてなかったカッティングエッジな5ツ星ホテルだ。ライン川の半島の先端というウォーターフロントのロケーションもスペクタクルで、19階建てのビルはライン川の対流に立ち向かうかの勇姿をみせ、ガラスのファサードは黒く光を反射する。コンクリートの階段広場を挟んでホテル棟とオフィス棟のツインビルが並ぶ。ライン河岸と半島を結ぶ新しい橋とツインビルも地元のJSKアーキテクテンが設計した。ホテルのある一帯は、昔はライン港として繁盛していた。しかし重工業時代が終わり港も寂れてしまう。近年になってメディエンハーフェン(メディアハーバー)という都市再開発プロジェクトが成功し、250ヘクタールに及ぶ港地区がクリエイティブでファッショナブルな街に変貌してきた。ハイアット リージェンシーは、メディエンハーフェンの新しいランドマークでもある。

アムステルダムのデザイン事務所FGスティル(コリン・フィネガン主宰)がクリエートしたインテリアは、総じて“アーバン雅び”とでも言えるだろうか。優美な中に港独特の雰囲気、活き活きしたストリートの空気が混じっている。レストランやバーはガラスのフロントが80mも続き、自然光とライン河岸やデュッセルドルフ旧市街の風景がたっぷり空間に取り込まれる。ころんとして未来的なパビリオン建築が、半島の最先端から頭を出し、眩しいほどシルバーに輝いている。外観からしてアートギャラリーか何かと想像したが、「ペブルズ」というシャンパンラウンジだった。ペブル=石ころ、岸辺の石ころをイメージしたわけだ。パブリックエリアのキャットウォークのカーペットに泡が浮上し、客室階の廊下のカーペットに葦が茂り、ロビーの壁にはアリャン・ファン・アレンドンクの絵で花が咲き乱れるように、石ころだけでなく、水辺に生える葦や花の数々、水泡、水面と光の戯れ、、、デザイナーは川という自然からインスピレーションを授かったようだ。自然の木の幹と思っていたコーヒーテーブルが、ロビーの椅子に腰掛けて近くで見ると大理石だったり、小さなデザインサプライズも待っている。

「カフェD」といってちょっと隠れているが、ホテルの従業員のためのセルフサービスのカフェが、一般にもオープンで気軽に利用できるシステムにちょっと驚いた。お世話になるスタッフと肩を並べて、ロングテーブルで朝のコーヒーやお昼の定食を楽しめる。今までホテルでお目にかかったこともない、けれどとても素敵なホテル側からのアイデアだ。

デュッセルドルフには日本企業が多く進出し、ドイツ最大の日本人コミュニティが形成され、デュッセルドルフ旅行を“プチ帰国”と呼ぶ人もいるくらい、日本人のいないデュッセルドルフはもはや考えられないほど日本とは深い結びつきがある。そんな背景もあってかロビーでは市松模様のゴールデンボックスに日本の絹織物や漆塗りが連想されたり、食器にも使われている蝶々のモチーフに『蝶々夫人』のイメージが重なったりと和の要素もインテリアに見え隠れする。

ドックス・レストランの寿司バーは1970年代の映画の宇宙ステーションみたいにレトロフューチャーでこんなカウンターでお寿司を食べたことはなかったので一瞬心が動いたのだが、やっぱりインマーマン通りの「匠」で北海ラーメンに決めた。肌寒い中行列に並んで、実は数年振りで生麺の味噌ラーメンを堪能させてもらった。ホテルの寿司バーの白いインテリアには、ざる蕎麦など器もデザイン的にマッチすると思う。ラーメンとまではいかなくてもドイツのホテルでいつの日かざる蕎麦を食べられる日が来るのを夢見てしまうのだった。

ドイツ

2011/01/05

ルレ・ブルゴンディッシュ・クライス (ベルギー・ブルージュ)

映画の舞台となったヨーロッパのホテルは数知れないけれど、ベルギーの古都ブルージュの「ルレ・ブルゴンディッシュ・クライス」ほどロマンチックなロケーションを誇れるホテルはそうないだろう。世界的な劇作家マーティン・マクドナーのジャンルにはまらない、すっ飛んだ映画『イン・ブルージュ(邦題:ヒットマンズ・レクイエム)』は、そのタイトルのままにブルージュが主役の一人と言っていいほどに、ミステリアスな中世の水都の魅力にあふれる。映画の方はロマンチックなラブストーリーとかでは全然ない。性格も人生経験も全く違うアイルランド人殺し屋コンビ、御法度の殺し屋なのにどこか憎みきれないレイ(コリン・ファレル)とケン(ブレンダン・グリーソン)がボス(レイフ・ファインズ)からの待機命令でクリスマス前のブルージュに着いて、この地でどんな壮絶な運命が自分達を待つのか予想もせず宿に向かうところから映画は始まる。

この絵葉書そのままのロマンチックな運河風景の中にある宿が16室のみの小さなブティックホテル「ルレ・ブルゴンディッシュ・クライス」だ。メルヘンに出てきそうな木組み切妻屋根の17世紀の建物が、ちょうど運河が合流する地点に双子の様に仲良く並ぶ姿に見とれていると、ホテルの部屋の窓から運河に飛び降りたコリン・ファレルをレイフ・ファインズが欄干から狙い撃ちするというスリリングなシーンも思い出された。
ホテルの名前にあるブルゴンディッシュ・クライスとは一体何のことなのか聞いてみると、2本の枝をX字型に交差させた十字架「ブルゴーニュ十字」を意味するとのこと。エントランスに掛かる飾り看板やレセプションカウンター中央の紋章にもこの十字があしらわれている。その昔にブルゴーニュ公フィリップ善良公が金羊毛騎士団を設立し、十二使徒の一人聖アンデレをその守護聖人に定めたことから、X字型の聖アンデレ十字のモチーフが騎士団と公国の旗に使われたことにブルゴーニュ十字は由来する。ブルージュでは中世の話がほんの前世紀の話のように聞こえるから不思議だ。

パブリックスペースで見学できだけでもホテルのオーナーの美術品、骨董品のコレクションがかなりのもの。コレクターズアイテムのルイヴィトンの古いトランクを配したり、アンティークのゴールドの鏡やデペロの絵を背景にエレガントなサロンでグラス片手に寛げる。人形の家に入っていくかに狭い客室への階段室は薄明かりで、中世へと歴史を遡る時間の階段を上る気分にもなってくる。

泊まった部屋の幅が狭くても切妻の屋根裏を吹き抜けにして天井が高く、ドラマチックな間接照明の効果もあり、その狭さを感じさせない。カーテンやベッド、クッションはお揃いの薔薇の花模様で、ファブリックはラルフ・ローレンである。クローゼットがまた宿の何百年という歴史を実感させる扉で、『イン・ブルージュ』にも登場するヒエロニムス・ボスの絵の怪奇動物が現れたりしそうで、恐る恐る扉を開けると中は空っぽで安心した。ドイツでは見たことがなかったのだが、窓が開き過ぎないよう調節する革のベルトのような面白いものを初めて目にした。スタンダードの部屋のバスルームは大理石模様のタイル張りだったが、スーペリアの部屋はバスルームもちょっとゴージャスになってルージュロワイヤルの大理石張りということである。

部屋は数が少ないウォーターフロントの部屋に固執せず比較的リーズナブルなスタンダードの部屋でも、朝食を頂くティールームの窓際の席から最高の眺めを堪能できるから、満足度はそれで十分だ。ここもロビーやサロン同様にカレル・アッペルの絵画を始め、モダンアートと磨き上げられたアンティークの銀器や掛け時計の骨董品がインテリアに組み込まれ、白鳥のように白い蘭の花がシャンデリアのクリスタルの光に淡く照らされる。奥の紫色の暖炉の部屋はブルージュの伝統工芸であるゴブラン織りの見事なタペストリーが壁に掛かり、中世の世界へと誘われる。朝食のテーブルで「ワッフルはいかがですか?」と坊主頭のベテランウエイターに聞かれる。既にオムレツも平らげてしまっていたので理性は一瞬躊躇したが、本能的に口からはもう「イエス」の答えが出ていた。運ばれてきた焼き立てホカホカのワッフル、そのはんぱでない大きさに私は思わず「ワオッ」と驚嘆の声をあげてしまった。自分でもおかしくなったのだが、ウエイターもヘニングさんも笑い出してしまい、アンコールということで今度はトリオで声を合わせ「ワオッ」とワッフルを愛でることに。口に入れるとサクッシュワッとそれは美味しい。ブルージュはチョコレートもビールも抵抗できない美味しさで、バスルームに体重計が置いてないのが本当に幸いだった。

ベルギー

2010/10/20

ホテル・ル・キャンベラ (フランス・カンヌ)

太平洋岸の街で育ったからか、水平線の彼方には未知の素晴らしい何かが待っていると、海岸から眺める水平線の向こうに、子供の頃からとても憧れていた。私の住むハノーファーは内陸の都市で、どこに行っても水平線は現れてくれない。北ドイツの短い夏も終わり、これからまた暗くて長い冬がやって来るかと思うとその前にどうしても青い海と水平線を見ておきたくなった。どの海でもよかったのだが、格安エアラインでラストミニットの週末フライトが取れたのがなぜかニースだけ。とにかく急なプランだったので、到着日にはニースだとお目当てのホテルはリーズナブルな部屋がどこもとれず、まずはカンヌに1泊することにした。

洗練されたデザインのブティックホテル「ル・キャンベラ」 (4ツ星) はカンヌの目抜き通り、駅と海岸の中間の東西に長く伸びるにぎやかなアンティーブ通りに建つ。最高級ブランドの店やデラックスホテルがズラリと並ぶ海岸沿いのクロワゼット大通りとは雰囲気も違って、ちょっと庶民的で初めてなのに自分のアパルトマンに戻るかの親近感があった。このホテルは全面改装をパリの著名な建築家でインテリアデザイナーのジャン・フィリップ・ニュエルが手掛け、2009年に新しく生まれ変わった。ニュエルは1961年生まれ、パリ国立美術学校で建築を学び、ル・メリディアン、ラディソン、インターコンチネンタルなど大手ホテルチェーンにも引っ張りだこの才腕インテリアデザイナーだ。洋菓子店の「アンリ・シャルパンティエ」や「ポーラ・ザ・ビューティ銀座店」 (JCDデザインアワード2010受賞) など、日本でも高く評価されている。「ホテルはマイホームを越えた空間でなければならない。デザインはゲストを心地よくサプライズすべきだ。旅の思い出、出会いの思い出、発見の思い出、人それぞれが旅先で記憶に残しておきたいモーメントを書き綴ったその人だけの物語が生まれるように。」ニュエルのこういったホテルデザイン哲学がル・キャンベラでも見事に具体化されている。

1886年に設計されたクラシックな建築の中に足を踏み入れた瞬間に、最初のデザイン・サプライズに歓迎される。大理石の階段に大胆な白黒のストライプの壁だけなら驚かないが、天井からピンクの光が階段室全体に降り注ぎ、空気までピンクに染まっていたからだ。往年の映画『マイ・フェア・レディ』で、ピンクの造花のブーケをあしらった帽子に、白黒ストライプの大きなリボンが印象的なオードリー・ヘップバーンの装いを空間に移行したかのデザインである。ニュエルはル・キャンベラのデザインで1950年代、1960年代の今とはまた違った映画界の華やかさ、グラマラスな映画の魅惑世界をコンテンポラリーに表現している。

レセプションの男性スタッフのネクタイも淡いピンク色で、ラウンジにもピンクの椅子が混じり、部屋にもピンクのソファが一つ、バスルームにもピンクのサプライズ効果が待つという具合で、嫌みのないきれいなピンクが、館内の可憐なアクセントになっている。ラウンジの一番奥の壁一面を1950年代のクロワゼットの白黒写真が占め、オートクチュールのプリーツドレスのスカートのようなビッグサイズのランプシェードから、夜は暖かい光が透けて差す。またホテルでは、フランスのミッドセンチュリーモダンの巨匠デザイナー、常にイノベイティブであったピエール・ポラン (1927年ー2009年) の代表作に座れるのも嬉しい。ホテルのラウンジには「オレンジスライス」、明るく白に統一された「ル・カフェ・ブラン」のテーブル席には「リトルチューリップ」が配された。ガラス張りのサンルーム風なレストランは、その白いレザーの椅子達が背景の庭の竹の葉の緑や、プールの薄緑のモザイクと鮮やかにハーモニーする。ホテルの裏庭はアンティーブ通りの喧噪が届かないくつろぎのオアシスだ。ブーゲンビリアや椰子の木もまさに南仏のイメージ。午後のカンヌ散策に出る前にコートダジュールの空の下、竹林に囲まれたプールで一泳ぎすると、ドイツの曇り空と冷たい雨をすっかり忘れて心身ともにシャキっと元気になった。

客室階のエレベーターを出ると予期せぬサプライズにびっくりさせられた。それは騙し写真とでもいおうか、壁に人物の原寸大の写真を飾ってあるのだが、タキシードのジャケットを脱いで小粋に肩にかけた男は、私達に気がついてふと振り向く。
実際にはない廊下を、本当にその写真のごとく正装したカップルが、カンヌ映画祭のパーティーからほろ酔い加減で部屋に向かって歩いていると、一瞬信用してしまうのだ。

客室は全30室&5スイート。キルティングした白いレザーのベッドヘッド、そのベッドヘッドの鏡張りのシルバー効果のあるフレームやシルバーのファブリック等、ハリウッドスター女優の楽屋をイメージしたくもなる。レセプションカウンターも白いキルティングレザーだったが、同じ仕様が部屋のスツールにも使われ、この辺にもホテルがトータルデザインされていることが改めて認識される。部屋のカーテンはパリのピエール・フレィ社にオーダーメードされた。プリーツの風合いが特徴で、『7年目の浮気』の映画で地下鉄通気口の上で、フワリとセクシーに舞い上がるマリリン・モンローの白いドレスのスカートにインスピレーションされたのではないかと想像してしまう。

木目の美しいドアを開けると、バスルームも部屋に負けずにスタイリッシュだ。星屑のように光が当たるとキラキラする黒い石の洗面カウンターに、比較的浅い長方形のマットな黒の洗面器、鏡は大きな楕円形、アントニオ・チッテリオがデザインしたアクサーの水栓にシャープに光が反射する。トイレは漆のごとく黒く艶光りするタイルに囲まれる。左半分のバスエリアは対照的にクリーンな白が基調になる。しかしバスルームの照明をオンにするとこれもニュエルが仕掛けた心地よいサプライズで、バスタブ上のライトからピンクの光が降り注ぐという趣向だ。お湯まで桜湯のように淡くピンクに染まったかで、愉しくてついつい誰でも長湯になりそうだ。

夕方また海岸に出かけた。クロワゼットの遊歩道には、誰でも自由に使える空色の椅子があちこち置いてある。屋台で缶ビールとホットサンドイッチを買って、カンヌ風物詩の一つのような空色の椅子で、夕焼けから夜景に変わるコートダジュールの自然ドラマを堪能する。するともう1980年代から聴いたこともなかった曲、「ハーバーライトが、、、その時一羽のカモメが飛んだ」と渡辺真知子のかつてのヒット曲が、突然口から出てきた。「ラ・メール」のシャンソンでなく「カモメが飛んだ日」か、何年ヨーロッパで暮らしても昭和人だなあ、と苦笑いしたのだった。

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